能登のこと、高田のこと

2024.12.23

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高田暮舎スタッフの木津谷です。
12月のはじめごろ、能登に行ってきました。
2024年の1月1日に起きた地震、そして9月の豪雨災害による二重の被災。
この場所に住んでいて、気にならないわけがないんです。

私は、地域の方とお話しをするのが大好きなのですが、
皆さんが聞かせてくれる日々の暮らしの話は、たとえば、こんな感じ。

季節の手仕事の話や自分の孫の話をしていると、亡くなった家族の話を聞くこともある。
昔の家の話をすると、震災前の、記憶の中の風景の話になる。
少し前の話を聞くと、復興の熱気の中にあった、あれやこれやを教えてくれる。
その中でふと、抱えている傷のことが、ポロリと溢れる。
当たり前だけど、目を背けたくなるような残酷な話もあれば、笑い転げてしまうような楽しい話もあります。

 

高田に移住してからもうすぐ2年。
「私が、いま、この場所にいることの意味って、なんなんだろうか。」
復興の過程を知らずに、陸前高田に住む、身軽で、若い体を持つ自分。
震災がきっかけで移住してきた人たちの当時の年齢と、自分の今の年齢が重なる。
そのことを考えれば考えるほど、「今の私が能登に行かなくてどうするんだ」と思うようになりました。

ボランティアに行こうとしても枠の空くタイミングがうまく掴めず、車で突撃するにしても、知識も経験もなさすぎて不安…能登に行かなければというモヤモヤとした気持ちを持ちながら、もう少しで1年経ってしまうと半ば諦めていた時、瀬尾さんの呼びかけを見つけて、「一緒に行きたいです!」とメッセージを送りました。

(6月に山猫堂で開かれた、瀬尾夏実さんによる能登半島地震の報告会。これが、能登と自分、高田と自分との関わりについて考える大きなきっかけになりました。)

新幹線で金沢駅まで。キラキラと普通の生活を送る金沢の人たち。作業着を着て、リュックに長靴を提げて歩いているのは私だけ。金沢駅でレンタカーを借りて、能登里山街道を走って1時間。被災地までのアクセスは自分が思っているより何倍も簡単でした。東京から考えたら、全然遠くない。今の陸前高田よりもずっと来やすいんじゃないか。

綺麗に同じ方向に傾いた電柱。ぺしゃんこになった家。泥だらけの道路。崩れた家と崩れていない家が混ざる、モザイク状の被災。解体が進むと目印が変わって、道を間違える。そこに何があったか思い出せなくなっていく。


(歪んだままの電柱の横を歩いていると、平衡感覚が狂いそうです。)

(被災後に解体された家の跡地。石畳と植木だけが残っていました。さみしい。)

 

2泊3日の短い滞在の中で、4人の方のお話を聞いて、銭湯の掃除のお手伝いを少しと、社協のボランティアを半日、あとは車でぐるぐる被害状況を見てまわってきました。
街中には普通に営業している飲食店やスーパーがあって、美味しい食べ物もたくさん食べてきました。日本海らしい海に美味しいお魚、歴史を感じる街並み。高田とは違う海なのですが、日本海側で育った私にはとっても懐かしいような風景がたくさんありました。


(ザザーっと常に波が押し寄せてくる感じ、「あぁ、これが私の知ってる海だ」と思いました。)

 

能登の状況を車でぐるぐる回りながら考えるのは、私の知らない、「復興」していった過程の高田のこと。
必要とされているから手伝いに行く。お世話になった人がおいでと言ってくれるからまた会いに行く。食べ物が美味しかったから食べに行く。好きな景色があるからもう一度見にいく。それだけ。「それだけ」が重なり続けて、今の高田のつながりが生まれていったのだろうなと。元々持っている高田の心地よさだけじゃなくて、震災後からのつながりから続くその温かみに触れて、私はいまここにいるのですね。


(お掃除を手伝わせてもらった銭湯。「また来ますね」という言葉が自然に出る。そして私はその約束を果たすために「また行く」のです。)

 

東日本大震災から13年。
震災を生き抜いた人が亡くなって、家の片付けが必要になった人。仮設から公営住宅に移り住んだけど、本当は広いお家で畑仕事がしたい人。流されたけど、捨ててしまったけど、懐かしくて、と本や古物を買いに来てくれる人。
ボランティアで賑わっていた高田は、新しいまちができて「復興が終わった」らしいのですが、地域の人はどこか寂しそうに見えます。
コロナで遠くからの人の行き来も少なくなったり、ボランティアで来ていた若者のライフステージが変わってしまって簡単に来れなくなったり。
東日本大震災のボランティアをきっかけに移住した人たちを「第一世代」と呼ぶならば、自分は「第二世代」。私がそうであったように、震災じゃない「来る理由」をできるだけたくさん作っていくのが、今私がここにいる意味の一つなのかなぁ、なんて。


(高齢化が進む集落の草刈りも、今の私の大事な役割。集落の集まりは、いつも学びが多いです。)

移住して地域の中で暮らすということは、そこに積み重ねられてきた時間、言葉では語られないものを、ひとつ、またひとつと、読み解いていくことの繰り返しなのだなあと思います。

これからも、たくさん、お話聞かせてくださいね。

 

 

【プロフィール】

木津谷亜美(きつや あみ)

1999年生まれ/青森県西津軽出身/母国語は津軽弁/2022年夏季インターンを経て、2023年4月に移住。高田暮舎では、おうちの未来相談窓口を担当/古着が好きで、空き家から出てきた服を着ることにハマっています。

 

執筆者プロフィール

柴崎 航

1995/5/26 東京都江戸川区出身 移住コンシェルジュ アウトドア・インドアどっちも好きで困ってます。これから陸前高田を知って皆さんに伝えていきます。