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お久しぶりです。インターン生の木津谷です。8月から始まった、約1か月半のインターンが終了しました。高田に来た時は夏真っ盛りだったはずなのですが、気づけば心地よい秋風の吹く季節になっていました。
今回のインターンで私は、空き家から出てくる行き場のない「もの」をどのように活用していけるのかについて向き合ってきました。ほぼ毎日作業服を着て、埃まみれになりながら、屋根裏に眠っていた重い古箪笥や、綺麗に棚に並んだまま使われなくなった食器、誰かの思いでの詰まったぬいぐるみやレトロなゲーム機を発掘しては軽トラに積んで、持って帰ってきたものをせっせと拭いて・・・。目の前の家に取り残された大量のものたちをどうしたら救えるのか、考え続けた1か月半でした。
実は、今回私たちは、「山猫堂」という場所に宿泊していました。ここは、「泊まれる古本屋」というコンセプトでオープンする予定の場所です。ここにある雑貨やソファ、食器などすべて、空き家から出てきたもので構成されています。
ここでの生活やインターンでの経験を通して、「家」と「空き家」の境目、「もの」と「ごみ」の境目について、とっても考えさせられました。ちょっとした言葉の違いかもしれませんが、実は、あいまいで深い問いだと思うのです。
家の整理をしていると、家の記憶、その人の人生、歴史が一気に自分にぶわっとはいりこんできます。思い出の集合写真、最期まで大事にしていたであろう着物、病院の診察券、立派な神棚、戦争が起こっていた時の資料。
しかも、この地域の家は、一家代々気仙大工だったお父さんたちが、山から木を持ってきて、自分たちで建てて、自分たちでリフォームし続けてきた家も多いんです。
整理が終わりに近づいて、家が空っぽになってくると、家の造りの丁寧さや、リフォームの跡、立派な柱が見えてきます。ここは昔土間だったんだろうな、囲炉裏があった場所を掘りごたつにしたのかなあ、こんなに太くて大きい木を柱にするなんて大変だったろうな、きっと自分の家を誇りに思っていただろうな、なんて、どんどん想像が膨らんでしまいます。
家主さんの意向にもよりますが、そこから出てくるもののほとんどは、いくら頑張っても、最終的に処分せざるを得ません。
せっかくお金をかけて家を空っぽにしても、使ってくれる人がいなければ、立派な家も劣化していくだけです。
家ってただのハコじゃなくて、歴史や思いや人生や感情が、全部ぐちゃぐちゃに、ぎゅぎゅぎゅっと詰まった、複雑な生き物のようだなあと感じます。
家の歴史が途絶えた時、いろいろなものが詰まった家は、いろんなものが詰まったまま、「空き家」になり、たくさんの思い出は「ごみ」として処分の対象になります。
明確な答えは出なかったけど、そんな場所やものをどのように使うべきなのか頭を悩ませた時間は、自分の人生のありかたの根本に迫る、哲学的な問いに向き合ったというか、すごく貴重で濃い経験をさせてもらったなあと思います。
家財整理や家財の引き取りをする中で、個人的な楽しみとして、0円コーディネートで生活してみたりしていました。家財整理で出る膨大なものの中から、持ってこれたのは1割にも満たないけど、お洗濯・クリーニングをすれば、まだまだ着れるものがたくさんあって。
純粋に、自分で引き取るとタダだし、昔の服ってかわいいし!という感覚で、大量にある服の中から宝探しをするように、楽しく服を発掘していました。そういう服を着ていると、古着を買うよりも持ち主に近い分、服を着ていた人が頭に浮かびます。
それらの服を私がまとって、記憶やものの寿命を延ばすことにどんな意味があるのかはわからないけど、捨てられてしまう行き場のないものたちの可能性を、ちょっとだけ広げることはできたのかな。
空き家から掘り出して綺麗にした家財に囲まれて、さらには家財を身にまとって生活していると、家財とか家財じゃないとかって関係ないなあと感じます。ものはもの。わざわざお店で買わなくても、その場にあるものを、わからないなりに、自分の感性で組み合わせて着てみる、使ってみる。そこに、何物にも代えがたい面白さが、可能性があるんじゃないかと思います。
長いようで短かった高田の生活もそろそろ終わりですが、私は引き続き山猫堂のオープンに向けてお手伝いさせてもらいます。来てもらった人に、このワクワクや面白さが伝えられるような場所にできればなあと試行錯誤中です!家財の行方を見届けるまで、楽しく元気にがんばるぞ~!
【プロフィール】
木津谷亜美
1999年生まれ/青森県西津軽出身/母国語は津軽弁/栃木県の大学で国際分野の学問を広く勉強中/祭り、旅、アートが好き/好奇心旺盛アクティブ人間/大学卒業までにヒッチハイクをするのが今の目標です