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東日本大震災から、これからのこと。
2011年3月11日午後2時46分。三陸沖を震源に巨大地震が発生しました。マグニチュード9.0を記録した東北地方太平洋沖地震です。海岸線に押し寄せた津波により多くの命が失われ、東日本を中心に甚大な被害をもたらしました。海に面する陸前高田市もまた、大きな被害を受けた地域のひとつです。
東日本大震災の被害
陸前高田市では震度6弱(推定値)を記録し、甚大な津波被害を受けました。犠牲者数は人口24,246人(平成23年2月28日時点)に対し1,700人以上(行方不明者含む)にものぼります。津波による被災世帯数は、およそ8,000の世帯の半数以上にも達し、津波被害を受けた世帯はほとんど全壊しました。公共施設も市庁舎はじめ、中央公民館、図書館など大きな被害が多数でました。また、海岸防潮堤にも被害はおよびました。
震災を後世に継ぐ
陸前高田観光ガイド部会では、東日本大震災の津波の状況、復興の経緯、避難のあり方や今後の課題、震災を通じて再認識することとなった先人から伝えられてきた遺訓の大切さなどを後世に語り継ぐために、震災の「語り部ガイド」を発足させました。被害に遭いながらも市内に住む方々が、これから起こりうる災害に少しでも役立てればという思いからガイドとして活動しています。催行人数1名から申し込みができ、旧・道の駅高田松原や奇跡の一本松などの震災遺構等をめぐります。
震災後の住宅再建
陸前高田市は、被災者の住宅再建を最優先させて、災害に負けない安全なまちづくりに取り組んでいます。住宅再建の取り組み状況については、災害復興公営住宅等整備事業において、平成29年には11団地(総建設戸数 895戸)すべての建設が完了しました。被災市街地復興土地区画整理事業においては、高田地区では平成29年度に2つの高台の宅地を引き渡しました。同じく高田町に隣接する気仙町今泉地区では、平成29年度内に4つの高台の整備が完成予定です。防災集団移転促進事業では、住宅団地 30団地のうち、土地区画整理事業区域内を除く28団地の造成工事が完了し、順次、住宅再建が進んでいるところです。
食産業の復活
基幹産業のひとつである水産業については、市内に岩手工場を構える水産加工会社が中心となり、津波で浸水した気仙町の長部(おさべ)地区に水産加工関連業者が集まる工業団地を形成しました。既に立地していた2社を除き、県内外11社が新たに進出。立地企業が連携して原材料の調達から生産まで一貫体制を築いています。
農業分野では、復興の象徴となる新品種「たかたのゆめ」の苗植えが2012年6月に行われ、ブランド米への一歩がスタートしました。現在までに作付面積は順調に増え続けています。「たかたのゆめ」という名前は、公募により寄せられた169案の中から選ばれたもので、「被災地からみんなで夢を追いかけ、夢を乗せ、期待を乗せる」という思いが込められています。
動き出す新しい中心市街地
商業の分野では、嵩上げ地区の中心部で新しい中心市街地が動き出しています。先導役を担うのは、商業棟と市立図書館で構成された大型複合商業施設「アバッセたかた」。地元中心の企業者14店舗が出店する専門店街と、スーパー、衣料、ドラッグストアなどの大型専門店が一体となって市民の日常生活をサポートし、暮らしを支えるために建設されました。施設名の「アバッセ」は地元の方言で「一緒に行きましょう」の意味。買い物だけでなく憩いの場として笑顔があふれ、長く愛される施設を目指しています。
本格的なまちづくりへ
陸前高田市では「海と緑と太陽との共生・海浜新都市の創造」を掲げ、震災復興計画を進めてきました。平成30年度までにこの復興計画を終了し、以降は経済状況や市の現状を踏まえた持続可能なまちづくりへと計画を移す予定です。震災による急激な人口減少に加え、全国的な少子高齢化によって予想される財政状況を鑑みて、ポイントとなる施策の選択と健全な財政の均衡を図っています。まちづくり計画には有識者のほか、市民へアンケート調査などを行い、意見を反映させる予定です。
誰もが快適に暮らせるまちへ
これからの方針のひとつとして、陸前高田市では「ノーマライゼーションという言葉のいらないまちづくり」を掲げています。これは「障がいのある人もない人も、ともに生きる社会を実現しよう」というものです。この理念に基づいて、中心市街地にはユニバーサルデザインを採用しています。また、陸前高田市ふるさと納税のお礼品の発送業務のにおいては、生産者からのお礼品の集荷は高齢者の方々、お礼品の梱包・発送業務は陸前高田市の障がいを持った方々が行っております。バリアを解消するのではなく、最初からバリアを作らないこと。新しいまちづくりをスタートさせる陸前高田市だからこそ、ユニバーサルデザインによるまちづくりのスタンダードを作り出すことができます。