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この「移住者に聞く」インタビューは毎回、インタビュイーのお気に入りの場所で行っています。
今回お話を伺った古谷恵一さんの選んだ場所は「りくカフェ」。東日本大震災後、地域の女性達が集まって、建築・まちづくりの専門家と「NPO法人りくカフェ」を設立し、オープンしたカフェです。
震災後間もなく、仮設の建物で営業を始めた「りくカフェ」。クラウドファンディングでの資金調達を行うなど、個人や企業、様々な人達の協力を経て、2014年10月、本設へ建て替えを行いました。
「ここには何度か歌いに来ていたんです。陸前高田との繋がりができてから、今年(2018年)でちょうど10年が立ちます」。
学生時代はアカペラグループ「デモクラッツ」の一員として、大学卒業後はデモクラッツのOBグループ「りくラッツ」の一員として、陸前高田市に「歌いに」訪れていた古谷さん。
「ただの大学生の歌なのに、聞いてくれた方がすごく喜んでくれていたという経験が大きかったです。地域の方と関わりながら、『こういうとこに住んでみたいな』というのはなんとなく抱いていましたね」。
そうして陸前高田市に漠然とした想いを寄せたところから、古谷さんと陸前高田市との関わりが始まります。
左から3人目が古谷さん。りくカフェの他にも市民会館やレストランなど市内各地でコンサートを開催していました
陸前高田の暮らしを知りたい、学びたい、広げたい
古谷さんは神奈川県横浜市出身。大学卒業後は都内の予備校に校舎管理担当として就職。就職後も年に1度は陸前高田市に訪れ、地域の人との交流を続けていました。
「陸前高田市に住みたい」という想いが具体化したのは、当時の働き方への懸念がきっかけだったと言います。
「生徒と向き合える仕事は本当にやりがいがありました。ただ、その分、ほとんど仕事しかしてなくて。健康的にも悪いなと思いましたし、社外の人との交流もほとんど断っていたような状態でした。それではまずいなと。暮らしそのものを変えたいなという想いから、次の就職先を決める前に、まず仕事を辞めました」
予備校を退職した古谷さんは「これからどうしよう」と考えながら、アカペラサークルの先輩が移住していたこともあって、陸前高田市に1週間滞在することにしました。
「いつも訪れていた時より、少し長く滞在していると、『やっぱりここの生活はいいな』と思えたんですね。自分のやりたいことをやったりだとか、自分の生きたいように生きるということを陸前高田の人達は実践しているようにも見えました。震災で風景がまるっきり変わってしまっても、まったく変わらない、ここの地域の人達が持っている暖かさだったり、強い姿勢から学べるものは大きいなとも感じて。もっとここの人達のことを知りたいし、学びたい。さらに自分が気づいた良さを広げていきたいと思うようになりました」。
自身の暮らしを変えたいという想いと、陸前高田市の人々の暮らしへの憧れが重なって、陸前高田市への移住を本格的に検討し始めた古谷さん。滞在期間中に一般社団法人マルゴト陸前高田(以下マルゴト陸前高田)の活動を知ります。
なかでも古谷さんが惹かれたのは学校教育旅行・民泊事業。訪れた生徒が東日本大震災の被災地を巡り「生きる力」を学ぶこと、地域の人々と生活を共にすることで交流を深めることを目的としている事業です。
「ここに訪れる生徒、ここに住んでいる地域の人、その両方に対してアプローチできるのがすごくいい取り組みだなと思いました。やりたいと思える仕事に出会えた上に、ここで暮らすことができるならと応募しました」。
2017年1月に移住し、同年4月からマルゴト陸前高田に就職した古谷さん。希望していた学校教育旅行・民泊事業を担当し、修学旅行の受け入れ家庭の確保や営業活動などを行っています。
民泊教育旅行の紹介ビデオ
「準備はもちろん十分に」しながら、古谷さんは教育旅行や民泊で訪れた生徒がそれぞれの受け入れ家庭に入った、その後の関係性づくりには関わらないようにしています。
「そこは変に入っていくものではないなと思っています。陸前高田の普通の暮らしに入ってもらうことが目的なので、こちらから強制するものはなく、あえて何もしない。暮らしに入って、生まれた交流はそのまま続いていくので、あとはもう任せます。どんなことが起きるかなっていうのは結構楽しみですね」。
それまで出会わなかった、出会うはずがなかった人達同士が出会って、そこから交流が続いていく。そうして人と人との繋がりを生むことが陸前高田市にとってもいい作用をもたらすと古谷さんは話します。
「今、陸前高田に訪れている人達は震災の跡を見に来ている人が多いと思うんです。でもこれから復興は進んでいくので、そうした見学者は減っていく。その中でも続いていくのはやっぱり交流だと思うんです。その交流を生み出すひとつのきっかけが教育旅行・民泊なので、定期的に受け入れられる体制を今からちゃんと作っておきたいなと思っています」。
2017年、教育旅行の受け入れを行った件数は10件。1度に300人以上が訪れることもあるため、受け入れ家庭が1回に100軒以上必要になることも
繋がり・交流の他にも古谷さんが活動を通して果たしたいのは「選択肢を広げるきっかけづくり」です。
「人との関わりや繋がりが起こるためには選択肢が必要だなと思っています。限られた範囲のことしか知らなかったら、その範囲の中のことしか起こり得ない。それが広がる可能性があるのなら、もっと広げたいです。これから進路を決めていく中高生であれば、より重要なことなんじゃないかな」
活動の効果は具体的に成果として現れ始めています。
「今度、実際に修学旅行生として訪れたことのある子が移住してくるんです。『陸前高田で農業をしたい』と話しています。それってここに来てなかったらもちろん起こりえなかったことですよね。結果が『移住すること』じゃなくてもいいんですけど、ここにきて人との縁ができて将来への選択肢に『陸前高田で暮らすこと』が加わって実現したことだと思うので、進路を決めるひとつのきっかけづくりに携われた実感を得られたことがうれしいですね」。
「移住ってそんなに重いことなのかなって」
「選択肢を広げること」への想いを話していると、古谷さんは自身の経験を振り返りながら「移住するのってそんなに重いことなのかなっていうのは正直思っていて」とそれまでの口調と変わらないながら、少し前のめりな姿勢になって話し始めました。
「単純に自分が住みたいなとか好きだなと思う場所に住むってそんなに変わったことじゃないと思うんですよね。すごく自然なことだと思っていて。
タイミングとか環境が整って、自分がそこに住みたいなという場所があるのであれば住むのがいいと思うんです。それぐらいの気持ちで自分はここに来ています。別に移住ってそこにずっといなきゃいけないということは、まったくない。すごい軽いものでもないですけど、逆に重いものでもないなって思うんです。今住んでいる場所がいいなら、それが一番だと思います。そうではなくて、いろんな条件が揃うのであれば、視野を広げて、行動に移してみるのもいいんじゃないのかなって」。
いいと感じるものを行動に移すことが「重たい」ものではないということを伝えたいと話します。古谷さんが、これまで抱いていた想いを行動に移してきたこと自体も、自然に行ってきたことなのかもしれません。
新たな挑戦を続けながら、精力的に活動を行っている古谷さんですが、その語り口からは、「熱い想いを前面に出しながら常に全力で」というのとは違って、「淡々と着実に、秘めた想いをひとつひとつ実行している」ような印象を受けます。
「本当にいろんな方に助けてもらっているんです。何かあったらすぐ助けを求められる人がいるっていう安心感があるので、淡々とできているのかな。このりくカフェも、気軽に来れて、『またきたの』って言われながら、お昼ごはん食べさせてもらえたりして、支えてもらっているなと。こういう人達がいるからこそ、自由にできているんだと思います。本当に感謝ですね」。
(Text : 宮本拓海(COKAGESTUDIO))