「逃げてばかりいた自分が、今ではなんでもやってみようと思えるようになった」

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「気分が上がったり下がったり不安定な状態が続く毎日を送っていましたね。友人から『安定して不安定だな』って言われていました」

とかつての自分を振り返る清水健太さん。

出身地である東京の大学を卒業後、バイトとパチンコに明け暮れ、他人と比べた自分に劣等感を抱きながら日々を過ごしていました。

しかし、友人から声を掛けられたことをきっかけに、「自分を変えたい」と陸前高田市に移住。

現在は「認定NPO法人桜ライン311(以下、桜ライン311)」の広報スタッフを務めながら、自らが立ち上げた「ばばばTV」での動画制作も行っています。

東京での「安定して不安定」な生活から一変し、NPO活動や個人事業など、陸前高田市で活躍する清水さんに起こった変化のきっかけを伺いました。

 清水さんは現在28歳。当時24歳で移住しました。

自分は何をやっているのだろう、逃げてばかりいた

「学生時代はずっとスポーツしかやっていなかったです。高校、大学とスポーツ推薦で入学したので受験もなかったから、中学生までで勉強はストップしてて。筋トレとごはん、プロテインのことならわかるけど、それ以外のことはマジでわからなかったです」

スポーツ熱心だった学生時代を過ごした清水さん。高校では野球部、大学ではアメリカンフットボール部に所属していました。それまで得意なスポーツによって進学を果たしてきた清水さんは、大学卒業間近、就職活動を行う時期がひとつのターニングポイントになったと言います。

「今まで何もしなくても上手くいっていたこともあって、どっか拾ってくれるだろって高をくくっていたんですよ。斜に構えてたこともあって、就職活動は行いませんでした」

しかし、アメリカンフットボールの企業チームから声はかからず、唯一受けていた教員採用試験も不合格に。卒業後は、企業には勤めず、「バイトをしながら教員採用試験を年に1回受ける」生活をしていました。

「在学中を含め、3度、教員採用試験を受けては落ちるを繰り返していました。結局就職はしていなかったんですが、周りの人達は『受かるのは難しいって言うもんね。次がんばれ』って合格しなくても納得してくれるんですよ。それに甘えて勉強をしないままの日々を過ごしていました」

一方で「何もしていない」自分に劣等感も抱いていたと言います。

「そんな時にSNSを見ると、東京にいた大学の同期とかは強豪チームに入って活躍してたり雑誌で取り上げられてたり。みんなの充実している感じを見て、へこんではいたんですよ。自分はなにやってるんだろうと、逃げてばかりだなって」

 スポーツも進学も「根拠のない自信がいつもあった」という清水さん。「今思えば周りが助けてくれてただけなんですけどね」と振り返ります。

陸前高田との出会い。「悩んでいてもしょうがない」

「逃げてた自分を変えなくてはいけない」。意識し始めると、そのキッカケとなる話はすぐに清水さんのもとに届きます。

「東京都の教員採用試験は社会人経験が3年以上あると、試験内容が変わるっていうのがあってどっかに勤めるのもいいかもなと思い始めた時期に桜ライン311の話を受けました」

桜ライン311の理事を勤めていた当時のシェアハウスメイトから声をかけられました。

「最初は、『陸前高田で5年働いてみないか』って言われたんですよ。いやいや5年はなげーよと、煮え切らない感じでしたね。でも一度寝て起きてみたら、必ずしも5年いる必要はないだろうし、自分の今の現状を変えれるかもしれないなと。とりあえず話だけ聞いてみようという気持ちに切り替わりました」

それから東京での活動説明会に参加し、陸前高田市へ足を運んだ清水さん。当時の市内は東北大震災の被災直後。津波に襲われた風景は清水さんを圧倒しました。

 震災後初めて陸前高田市に訪れた清水さん。その景色に言葉は出なかったと言います。

「津波がここまできたんだよ」という話を聞いても、あまりの光景の凄まじさに、まったく当時の様子が想像ができなかったんです。『見てみてどう思った?』って聞かれた時に『なにも感じられなかった』と答えてしまって。こいつは大丈夫か?と心配されていたみたいですね」

陸前高田では桜ライン311の職員や地元の方に、仕事やまちの説明を受けていた清水さん。地元の方々との関わりを通して、次第に気持ちが変化していきます。

「案内してくれている人達を、『この人達と一緒に仕事するんだ』という目線で見ていると、楽しくやれそうだなと感じてきました。ただ、足踏みしていた自分もいて。
なんで悩んでいるんだろうって考えると、『自分が地元の人から受け入れられないんじゃないか』『生活の面で困るんじゃないか』とか。全部暮らしてみなきゃわからないことばっかりだったんですね。そんなことは悩んでてもしょうがないから、じゃあもう行っちゃえって思い始めて。とりあえず飛び込んでみようと」

自分を変えてくれた陸前高田に、これからもずっと住み続けたい。

意を決して、2014年2月に陸前高田に移住をした清水さん。移住後は、市内の仮設住宅に住まいをおいています。

桜ライン311に所属した当初は、植樹活動に加え草刈りや桜の手入れなどが主な業務でした。現在は広報スタッフとしてチラシや冊子、ホームページ作成を行っています。

(桜ライン311は陸前高田市の津波到達点上に桜を植樹し、震災を後世に伝える為のプロジェクトに取り組んでいます)

「ばばばTV」を始めたのは2015年3月。はじめは市内の飲食店を紹介するビデオを制作し、公開していました。

「東京にいたころの自分って虚栄心の塊だったので、友達とかいなかったんですよ。Twitterとかで、いいねもリツイートもつかなくて。陸前高田でグルメリポートを始めるってSNSに投稿したら一日に100いいねくらいついたんです。やろうとしたことに応援してくれてる人達がいるって感じられて、とても嬉しかったですね。そこからハマっていったのが映像の世界です」

2016年9月には個人事業として開業。企業の紹介ビデオや結婚式のプロフィールムービーなど個人、法人問わず気仙管内を中心に依頼を受けています。

「こっちにきてからはポジティブになんでもやってみようと思えるようになりました。東京にいる時はリスクを負えなくて、失敗しないようにやってきていたんですけど。こっちにきてからは謝って済むことならやっちゃえって思っています。リスクが多少あってもあとで返せるもんならやってみようっていう」

前向きに物事を捉えることができるようになったという清水さんは、陸前高田市への定住を目標としています。

「自分がこのまちを離れたくないなって思ったのは、この珈琲屋であり、自分がこれまで出会ってきた人達の存在です。学校を卒業したくないのと一緒ですね。この人達と一緒に暮らしたいっていう。これから考えないといけないのは、ここで暮らすためにどうしていくかということ。自分がずっとここに住みたいと決心できるきっかけになった三年間だったので、次は、本当に地元の人達に受け入れてもらえる信頼関係を作っていきたいです。
家を建てること。自分のスタジオを持つこと。家庭を持つこと。そこまで持っていかないと自分としてゴールにはならないなと思っています」

 熊谷珈琲店を営む、熊谷さんとの出会いが大きかったと言う清水さん。ほぼ毎日のようにお店に通いながら、熊谷さんを通じて同年代の友人が増えました。

 

陸前高田市に移住をして今年で3年目。
「かつては、嘘とか見栄を張って大きく見せようとしていましたが、陸前高田で活動してきた経験を通して、ちゃんと自信がついてきたなと感じています」
と話す清水さんは、これからの暮らしに夢を膨らませます。

 

(Text : 宮本拓海(COKAGESTUDIO))

移住者プロフィール

清水 健太さん

東京都調布市出身。2014年2月に陸前高田市に移住し、認定NPO法人桜ライン311に勤務。広報スタッフを務めながら、2016年9月には動画制作を行う「ばばばTV」を個人事業として開業した。

インタビュー場所について

お話を聞いた場所:熊谷珈琲店

「陸前高田にずっと住みたいと思うようになった大きな理由のひとつです」と清水さんが話す熊谷珈琲店。同年代である熊谷幸さんが2017年7月にオープンした。熊谷さんを「親友」というほどの間柄。ほぼ毎日のように通い、熊谷さんや同年代の友人と過ごす時間を楽しんでいるという。

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