コンテンツ
陸前高田市「広田町」。広田湾と大野湾を隔てる8の字形にくびれた広田半島に位置しています。温暖な気候で、カキ、ワカメ、ウニなどの漁業が盛んです。
震災時には広田半島の入口にあたる幹線道路が使用できなくなったことから、支援物資が届かないなど一時孤立し、支援が届きにくい地域となっていました。
震災後、復興支援の活動を行うために広田町を訪れた煙山美帆さん。以来、広田町の人達との出会いを通じて、出身地である東京から移住しました。NPO法人SET(当時任意団体。以下SET)のメンバーとして、広田町の野菜をブランディングし、地元の方々がつくる野菜を全国の個人やお店へ販売する「浜野菜おすそわけ便」を手がけるなど「広田町」での活動に尽力しています。
移住後に結婚、2人の娘さんの出産を経て、現在は家族4人暮らし。子育てに励む煙山さんの生活の様子を伺いました。
煙山さんは東京生まれ、東京育ち。陸前高田への移住が初めての引っ越しでした。
「広田のお母さんになりたい」
煙山さんが陸前高田市に初めて訪れたのは2011年4月。SETのメンバーとして復興支援の活動を行っていました。
「2泊3日、月に1度くらいの頻度で陸前高田に来ていました。広田の防災本部に出入りしている方から紹介され、出会った人達のお手伝いをしていたんです。生活に関わる部分のことで、家事を手伝ったり、漁師さんなら漁具の修理を一緒にしたりとか。まだ暮らしがままならない中で大きな団体には助けを求められない分野をお手伝いしていました。
そうして始まった活動だったので、SETメンバーとその後の活動について話し合うと、「広く色んな地域での活動ではなくて、出会った人達との出会いを大切にしていきたい」と方針が決まって。これからも広田町で活動していこうと決めました」
SETは大学生によって立ち上げられた復興支援団体。高校の同級生に声をかけられ、活動に参加した煙山さんは当時、専門学校を中退していました。フリーターをしながら、同年代の大学生と活動を共にしていた煙山さんは当時を「将来に不安を抱えていた時期だった」と言います。
「活動中、自分自身はフリーターだったので具体的に何をしたいとか、どんな人になりたいとか夢を持ってた時期ではなかったんです。そんな中で広田の地域の方々は、何者でもない私をすごく受け入れてくれました。『煙山美帆』っていう私に目を向けてくれるという体験がすごく心に刺さって。『このまちの人みたいになりたいな』とか『このまちで生きていくってどんなことなんだろう』と意識するようになりました」
広田町で暮らすことを意識すると、現状を「何も背負っていない今だからこそ」と前向きに捉えることができ、2012年8月に移住をしました。
煙山さんが広田への移住を決意したきっかけはもうひとつあります。
「移住してすぐ、広田園芸生産組合のおばあちゃんたちと出会うようになったんです。話を聞いていると、とにかく楽しそうなんですよね。『こんなこと(震災)があったけど、私たちは私たちができることをやっていくんだ』っていう声を聞いたり、おばあちゃんたちの笑顔を見ていると、すごいなと感じました。
よくお父さんが一家の大黒柱と言われますが、このお母さん達の笑顔がなかったらこの地域の家庭ってないなと思ったんです。影の大黒柱じゃないですけど、実際はお母さんたちが暮らしを守っているんじゃないかっていうのを目の当たりにしたときに、『広田のお母さんのようになりたい』と思うようになりました」
広田のお母さん達が大好きな煙山さん。SETで行われていた「浜野菜おすそわけ便」はそんな煙山さんの想いから立ち上げられたサービスでした。
“ない”ことを楽しむ暮らし
移住後は自らプロジェクトを企画し、運営するなど、広田町での活動を積極的に取り組んでいた煙山さん。2014年に結婚し、2015年に長女の渚咲ちゃん、2017年に次女の彩羽ちゃんを出産。現在は子育てをしながら家事をする、子ども中心の生活スタイルになりました。
「何か不便なことはありますか?」
という問いに「うーーーーん」としばらく考え込んだ煙山さん。
「あんまり思い浮かばないですね」と言うと、続けて笑顔でお話してくれました。
「周りのお母さんたちからは『公園がない』とか『子供向けの施設がほしい』とよく聞きます。確かにあったら使いたいなとも思いますが、私は現状でもすごく心地が良いなと感じています。
あるもので楽しめるし、遊具や施設がないからこそ、目の前の土や植物に触れて子供と一緒に初めて知ることがすごくあるので、それを親も一緒に楽しめるっていうのはやっぱりいい場所だなって感じますね。
普段、施設を利用しない時は、近所をお散歩して過ごしています。すると、畑に出てるおばあちゃんやお散歩してるおばあちゃんに出会って「これはこういう植物なんだ」とか「これはこういう野菜なんだ」とか教えてくれるんです。それがすごく楽しくて。
自然に触れ合いながら、おばあちゃんとも会話できるので、町の人達に育てられているなという感覚はとてもあります。」
娘さんはふたりとも地域の方から人気者。外に出ているとおばあちゃんの方からお話に来てくれました。
広田町の環境を満喫している煙山さんが、「ないものはない、あるもので楽しもう」とする意識は移住してから身についた感覚だと言います。
「元々は物欲の塊で、いろんな物がほしかったり、こういうことしたいっていう欲求は多かったんです。こっちにいると段々と洗練されてくるというか、ない中で自分はどう楽しむかと考えてワクワクするようになりました。最初こそ、不便さとか足りない物に気づいた時のハプニングが楽しかったんですよ。ほんとちょっとしたものが足りない時。ないってなってもコンビニがないじゃん!とか。ごはんを作りたくないと思っても食べにいけるところがないし、何か作らないといけないけど、白菜しかない!とか。そういう時は『白菜の創作料理』とか言いながら、ある食材を工夫して調理することが、とても面白かったです。乗り越えたときの楽しさも感じるので、ないものを楽しめたというのが達成感にもなるんですね。その移住当初の状態がずっと続いている感じです」
今後は子供の成長に合わせて、SETでの活動に復帰することも考えています。
「前のように働くことは難しいかもしれないですが、それでも、子供を連れて職場に行くとか、子供がいても仕事をする働き方ができると思っています。みんなができないと思っているようなことをやりたいですね」
環境も、暮らしも自然でいられる
最後に改めて、広田町の好きなところを伺いました。
「自然のままでいれるところかな。海があって、山があって、空があってという環境が暮らし方にものすごくダイレクトに密接していて。まちの人達がそうなのですが、海の状態や天候に左右されながら生きています。海に出る漁師さんや畑をしているお母さんたちがそう。町の人が自然と一緒に生きているので、同じ地域で生活している私の暮らしもそこに影響されています。晴れの日なら晴れの日なりの、雨の日なら雨の日なりの楽しみ方をしているし。毎朝、窓を開けて海を見て、自然を感じる。こういう暮らし方がすごく好きなところです」
(Text : 宮本拓海(COKAGESTUDIO))