陸前高田は「自分がどういう存在なのか」分かった場所

2022.01.28

コンテンツ

今を変えたいと思っても、迷うことは多いかもしれません。

つまり、移住というのは大きな決断なのでしょう。

今、少しだけ先に出発して歩いている人は、これまでどんな景色を見てどう感じてきたのでしょうか。

今回、移住の先輩として「4年間の高田暮らし」を伺ったのは、古谷恵一さん。一般社団法人マルゴト陸前高田で、震災学習の現地コーディネートなどの活動をされています。

2018年に1度取材をさせていただき、2度目の取材です。

「移住ってそんなに重いことなのかなって」。地域の人の暖かさや強さに支えられた自分らしさ

民泊で心が大きく動く瞬間を感じてほしい。無我夢中だったあの頃

移住前、古谷さんは、関東の教育関連の会社で働いていました。やりがいもありましたが、ほとんど休みのない忙しい日々を過ごします。貴重な休みを利用して、大学時代から続けるアカペラサークル活動で、陸前高田には何度も訪れました。

普段の生活に戻り「こんな生活は続けられないな……」と感じる時。ふと思い出すのは、陸前高田の人のあたたかさ。そして、震災があっても生き生きと暮らしている人たちへの憧れに気が付きます。そこで、先に陸前高田に移住した大学の先輩に相談します。先輩の「移住と定住は違う」という一言に後押しされ、2017年に移住しました。


アカペラサークル活動の様子。右から3番目が古谷さん

「陸前高田でやりたいと思える仕事に出会えた」と言うほどに惹きつけられたのが、マルゴト陸前高田の民泊事業でした。民泊は、修学旅行などで地方を訪れた人が、一般家庭での宿泊・交流を通じて、新しい体験や価値観にふれることを目的としています。

古谷さんは、市内で修学旅行と民泊の受け入れをしながら、「陸前高田だからできる学習・体験・感動のある学校旅行」を広めるため、都市部の高校や大学への営業にも出向きます。
訪問する学校や学生が増えれば必要になるのが、学生が泊まるための一般家庭の数。チラシ、説明会、SNS、知人への声がけなど、いろいろな方法で協力を呼びかけました。

「当時は必死だったんですよね。市内を駆け回っていました。今思えば、『知らない子を家に泊めてください』とか、なんて無茶なお願いをしていたんだろうって(笑)。民泊は決して、楽にできる事業ではありませんでしたね。」

受け入れは、気を張るものですが、目の前で繰り広げられる「心が動く瞬間」を見る時。それまでの疲れも吹き飛んだそうです。

「特に、民泊のお別れのシーンは印象深くて。ろう学校の学生たちと、ご家庭の方々のコミュニケーションが、特に心に残っています。耳に不自由がある学生達との、会話は筆談でした。いつもなら、声を出して挨拶をするのですが、その時はみんなシーンとしていて。お別れの言葉を伝えようと、何かを一生懸命、書いて、書いて。声は出てないけど、表情はすごく感動しているんです。音はないのに“盛り上がっている”ことが分かった、その瞬間。僕も感動して、泣きそうになりました……」。

学生にとっては一生に一度の修学旅行。「自分たちのしていることで、その子が変わり出す様子を見ることができたのは嬉しかったですね」と、お話する古谷さんもまた、嬉しそうでした。

交流が難しい今。それでも交流が続くように……

感動するシーンの多い、この仕事はやりがいのあるものでした。しかし、コロナ情勢により、修学旅行の受け入れは約10分の1に激減。2022年度の来訪まで決まっていたのですが、実現できそうにありません。

「修学旅行は、1年、2年と時間をかけて計画してきたものなんです。学校への営業、学校や旅行会社との調整、先生の下見とか。いろんな準備をしてきた結果、なくなるのは残念ですね。この状況では仕方ないですけど、やるせないというか。」

今は、学習や観光にオンラインを活用するなど、「一度できた交流を続ける」方法を模索しながら活動を続けます。また岩手県内の学校の来訪も、急増しているそうです。


震災学習の現地ツアー中。現在は、オンラインで市内をめぐることもあるそう

また、2021年10月からは、陸前高田企画株式会社(以下、陸前高田企画)の仕事も始めました。陸前高田企画は地域の産品などに、より高い価値をつけて提供する企業。さまざまなイベントの企画、運営などに携わります。2つの事業に関わることを、どう感じているのでしょうか。

「この地域をお見せする点では、2つの仕事は同じです。ただ、全然違う見せ方というか。マルゴト陸前高田のプログラムではありのままを見てもらいたいんですね。陸前高田企画の仕事は、今ある素材をもっと磨いてより良いものに魅せるという、違った視点です。お客様によってニーズは違うし、両方あることで多くの層に届くんじゃないかな、と思います。」

「陸前高田の“観光”ひとつに、見せたい価値が2つある」というのは、なんだかワクワクします。古谷さんが、これから描くビジョンはどんなものなのでしょう。

陸前高田企画が運営として携わった「姉妹都市 米国・クレセントシティ市と陸前高田の交流写真展」の開催中だった

「2つの価値が提供できれば、お客様も倍になりそうな気がしますね。両方のお客様の声が聞ければ、もっと良いものができると思います。ただ、2つ仕事をしているのは先月からなので、どうなるかは、正直まだ分かりませんね」。

まずは、自分の気持ちを大切にすること

今の仕事の状況を聞き、毎日忙しいのでは?と感じました。

「前の仕事から、忙しいレベルが高くて(笑)。ただ、『地域のために働く』というのは、違うと思っていて。自分が経験を積んで、仕事から学べる。自分の成長が結果的に、地域のためになればいいかな。その順序を知っておくことは、大切だと思っています。移住する時は、『地域のため』が大きいかもしれません。でも、それだけでは気持ちが続かない。僕も最初の頃は、頼まれたことが断れなかったりしましたが、時間も体も限られていますから。」

自分がつぶれてしまわないよう、周りの人の気持ちを思いやりながら、自分ができる・できないを考えている、と教えてくれました。「自分の気持ちを大切にすること」は、陸前高田で暮らしてから徐々に気づいた価値観だったそうです。

相談を受けることも増えてきた。そして、これから

今は、移住の先輩として相談に乗ることも増えたそうです。まず古谷さんの陸前高田での暮らしはどうでしょうか?

「ここの暮らしは、作り手が見えるところがいいですね。例えば『◯◯さんが作った野菜だ』とか。それと同じで、自分がやったことの影響が見えやすいです。都会にいた時には、なかった感覚でした。良いも悪いも、ダイレクトに反応が伝わってきます。陸前高田は、自分がどういう存在なのか知ることができた場所ですね。

だから、多くの人に一度来てほしいですね。まちを見に来るのでもいいし。とっかかりとして、興味のあるイベントのお手伝いをさせてもらうとか、その時期だけでも来てみてもいいかも。自分を振り返り、知る機会になると思います。まぁ、そこまで深く考えなくていいですけどね」。


「引っ越すくらいの感覚でいいと思いますよ」と話す、古谷さん

そんな古谷さんも、陸前高田に住み続けるかは、決めていないとのことです。
「長く住みたい気持ちが強いですが、その時の役割や気持ち次第ですね。陸前高田をもし離れるとしても、関わり続けることは絶対にあると思います。思い入れは強いです。
『移住は定住じゃない』ですし。ぜひ、一度来てみてください。大歓迎しますよ!」

古谷さんは、今日も北風が吹くまちで、陸前高田を伝え続けています。このまちを選んで住み続け、このような活動をされている方の存在は感謝でしかありません。

Text:板林 恵

 

移住者プロフィール

古谷 恵一さん

横浜市出身。陸前高田市には、アカペラグループの一員として大学時代の2008年に初めて訪れた。2017年に移住。一般社団法人マルゴト陸前高田で震災学習や一次産業体験などの交流事業を行う。陸前高田企画株式会社では、地域資源により高い価値を付けるための企画・イベントの実施を行う。

陸前高田は「野菜をいただいたり、冬になれば『牡蠣が美味しくなったから取りに来て』って連絡が来るとか、食材の提供がすごいところ」と話す。

インタビュー場所について

インタビューをした場所:ほんまるの家

中心市街地の「まちなか広場」内。講座やマルシェなどで多くの市民が集まる場となっている。民泊の市民向けの説明会にも利用した。
「最近は、この周辺から出発して、研修やオンラインツアーをすることもあります。『まちの中心地がこんな風になりましたよ』って。オンラインでも結構、伝わることが分かってきました。」

ピックアップ記事