「1つの場所に根をおろしてやりたい」そう思えた場所は、陸前高田でした。

2022.03.30

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「陸前高田は、来る度に『ただいま!』が言える場所でした」。そう話すのは、今回お話をお聞きした、大林孝典さん。
大林さんは現在、「陸前高田しみんエネルギー株式会社」と「一般社団法人ピーカン農業未来研究所」に所属しています。

大林さんがなぜ、陸前高田への移住を決意したのか?移住後から現在の活動や心境の変化、今後の活動に対する想いについてお聞きしました。

この時感じたことが、今の自分の価値観に繋がっている

茨城県出身の大林さんは、慶応義塾大学を卒業後、独立行政法人国際協力機構(JICA国際協力機構)に就職しました。在籍した8年のうち、2年半はアフリカのタンザニアに駐在員として派遣されていました。
「タンザニアの中央政府の役人や地方行政官と、現地の人のニーズを聞きながら、どんな援助メニューがいいか。どういうプログラムをやっていくか。聞き取りをしながら日本の支援内容を組み立てていく仕事をしていました。ぱっと行っただけでは、どこが問題か分からないし、現地に入り込まないと、何が本当に必要なのか分からないんですよね」。
そう話す大林さんは、当事者と同じ目線で物事を考えたり、話ができないことには、本当にいい地域の発展には貢献できないと感じていたそうです。


アフリカ滞在時に訪れた村での一枚

JICAは数年ごとに転勤があり、ようやくプロジェクトが軌道にのったところで、また別の場所へ派遣となることも。大林さん自身「自分の生き方や働き方として、転々としつづけるのではなく、1つの場所に留まり、自分の納得のいくところまでやり続けたい」。という想いが強くなりました。
そして、その場所をどこにするか考えた時、陸前高田に行こうと決意します。

第2の故郷、陸前高田

大林さんが初めて陸前高田を訪れたのは、大学1年生のとき。当時、アカペラサークルに所属していた大林さん。陸前高田に住む若者の人口流出が進み、「アカペラで陸前高田を元気にしたい!」と考えた市内在住の方から、サークルに公演依頼がきました。

「1週間滞在して、市内にあるホテルや学校でも歌わせていただきました。滞在中のスケジュール、場所や人の手配など全て現地の人が行ってくれました。プロじゃないから、上手くもないんだけど、聞いている人がみんな喜んでくれて。自然も豊かだし、美味しいものもたくさん食べさせてもらって、ちやほやされた原体験が良かったのかな(笑)」。


アカペラサークル活動で陸前高田市を訪れた時の様子。一番右が大林孝典さん

大林さんで6代目だったアカペラサークル。この活動は20年程続きました。震災前に歌いに来ていた人も、震災後に歌いに来た人も今でも、陸前高田を忘れず訪れる方は多いそうです。

「不思議なご縁だなと思います。震災がなかったら移住はしていないと思います。だけど、震災だけが理由ではないですね」。大林さんが陸前高田に移住してくることは、必然だったのかもしれません。

JICAの退職を決意し一時帰国をした際、「陸前高田に来て自分に何ができるのか?」色々模索したそうです。陸前高田で活動をする団体の代表、民間企業や行政の人など、色んな人に話を聞いた大林さん。結果、市役所が今までの自分の経験を最も生かせる場所だと思ったそうです。
陸前高田での生活の基盤も決まり、2015年に移住をします。

新たな人生のスタート

6年間勤務した市役所では、2年間ずつ部署の異動があり、立場は変わりながらもずっと似たようなことを続けることができたそうです。海外での生活や働いた経験から、シンガポールや姉妹都市である米国クレセントシティ市との交流にも携わってきました。他にも、現在の活動に繋がるきっかけとなる、新プロジェクトの立ち上げにも力を注ぎました。


シンガポールで陸前高田の特産品PRを行っているときの様子

「現在所属している、陸前高田しみんエネルギー株式会社と、一般社団法人ピーカン農業未来研究所は、市役所時代に最初の立ち上げからずっと関わらせてもらっていたプロジェクトです。立ち上げても、最終的には行政は民間ではないので、事業の担い手にはなれないんですよね。じゃあ、誰が続けて育てていくのかな?と考えた時に、自分がここまで関わったからには、やるべきだなという気持ちが沸いてきました」。

タンザニアで働いていた時に感じた「1つの場所に根をはり、やり続けること」。ずっと大事にしてきた想いが、大林さんを後押しします。

これから先も地域のために走り続ける

プレーヤー側になると決めて市役所を退職後、2021年4月から2つの企業に所属しています。

陸前高田しみんエネルギー株式会社は、電力の地産地消を通して地域の脱炭素や経済循環を推進することを目的に2019年6月に設立されました。市内の公共施設の電力は、100%しみんエネルギーへの切り替えが済んでおり、今後は個人向け供給の始動に向けて、力を入れています。


しみんエネルギーでは、食の循環づくりにも取り組んでいる

「一番大事にしていることは『電気代から頂く利益を地域に還元すること』ですね。」
4月からは、グリーンスロモビリティという電気バスの運行事務局も担っていくとのこと。休日は観光客の足となり、平日は地域の福祉の足として陸前高田の交通手段に欠かせない存在となることを目指していきます。

もうひとつは、理事として携わる一般社団法人ピーカン農業未来研究所。ピーカンナッツは、まだ日本での認知は低いものの、栄養価が高く、渋みが少なく食べやすいことも特徴です。世界の生産量の9割はアメリカが占めており、近年では、様々な国や地域で作り始めています。
日本では、東京大学が最初に目をつけました。
2017年には、ピーカンナッツ入りのチョコレートを看板商品にもつ、株式会社サロンドロワイヤルと、市、東京大学の3者が協働して、陸前高田の復興と農業再生を目指す「ピーカンナッツプロジェクト」をスタートさせました。

「一度実がなると、100年以上生きて実をつけ続ける長寿の木です。今種をまいておくことが、これから何十年も先の未来に繋がっていきます。ピーカンがうまく新しい農業・産業として受け入れられれば、もう一度農業を活性化させる起爆剤になるのではと思っています。」

どちらの事業も壮大な話から始まりました。それを一つ一つ実現していくため、奔走している大林さん。地域でもまだまだ認知度が低いと感じるなか、これからいかに地域に住む人たちのものにしていくかが重要だと捉えているそうです。「少しずつ広めていって、地域の中で応援団を増やせていけたら」。とも話してくれました。

迷っていたら、まずは誰かに話を聞いてみてほしい

大林さんにとっての陸前高田は、これまでもこれからも暮らしていく場所。
「陸前高田の人たちは、震災があったからというのもあるかもしれませんが、ボランティアの方や海外から来た人、移住者に対しても、外の人を違和感なく受け入れてくれますね。アレルギー反応を持っている人は少ないのかなって感じました。それはすごく可能性だなって。地元に軸足を置きながら、うまく外の人たちを巻き込んで、元気で幸せなまちを作っていけたらと思っています」。もともと地域や社会に関心があり、今の仕事も気負わず、自然体でやれているとのこと。

最後に、移住を考えている人へメッセージをいただきました。
「検討している人の経験・考え方・移住後の期待は十人十色だと思うので、もし迷いがある人がいたら、自分なりの答えを探しにここにきて、人の話を聞くところから考えてみてほしいなと思います。もし、私自身の話でよければ、喜んでお話しますよ。」

大林さんが張った根は、ここ陸前高田からたくさんのご縁を結んでいくことでしょう。

移住者プロフィール

大林 孝典さん

茨城県出身。大学時代アカペラサークルに所属し、グループの一員として陸前高田市を初めて訪れる。大学卒業後は、JICA(国際協力機構)に就職し、8年勤務。自分の理想の生き方、働き方を見つけ、2015年陸前高田市へ移住する。
移住後は、市役所に6年勤務。その後、陸前高田しみんエネルギー株式会社と一般社団法人ピーカン農業未来研究所の2つの企業に所属しながら、陸前高田の地域活性化のために2足のわらじで活動をしている。

インタビュー場所について

インタビューした場所:陸前高田発酵パークCAMOCY(カモシ―)

2020年12月に陸前高田市今泉地区にオープンした、発酵食をテーマとした複合施設。発酵食の食堂やお惣菜、パン、チョコレート、クラフトビールなど、発酵なしには作れないものを中心に店舗が並んでいる。
CAMOCY店内の一部店舗にて、大林さんが所属するしみんエネルギー株式会社の営業所がある。

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