「自分が本当にしたいこと」それが漁師だった。だから本気で取り組んでいます。

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「海はもちろん、自然が大好き。大好きな海で牡蠣漁師になりたいと思いました」

そう話すのは、東京都出身で現在25歳の須田大翔(すだひろと)さんです。漁師になるために、東京から陸前高田に移住し2年が経ちました。牡蠣漁師として一歩ずつ歩みを進める須田さんのストーリーをご紹介します。

須田さんが漁師を営むのは、広田湾に面する両替(りょうがえ)漁港です。広田湾は森からの栄養分を豊富に含む河川の水と、太平洋の海水が混じり合うことで、牡蠣のエサとなるプランクトンなどが豊富に発生する、牡蠣養殖には恵まれた漁場です。この漁場で育つ牡蠣や帆立などの海産物は、市場でも高値で取引される陸前高田の名産品です。

なぜ東京都出身の須田さんが陸前高田で漁師をしているのでしょうか。お話を伺いました。

小さい頃から自然の中で遊ぶのが好きだった

須田さんは、東京都足立区の出身。海から離れた街で育ちましたが、幼少期から海や山など自然の中で遊んだ思い出はたくさんあったそうです。

「海はずっと好きです。海だけではなく山も好きで。夏休みの思い出は自然の中で遊んだことですね。祖父母の家が群馬の山間部にあったので山遊びにも行っていました。父親が勤めていた会社が所有する一軒家のような保養所が千葉にあったので、よく連れて行ってもらいました。その一軒家の目の前に海があって。いつも遊びに行っていました。自然の中で遊ぶのは楽しいなという気持ちは、小さい頃からずっとありましたね」

内定が決まってから、自分がしたい道を本気で探した

須田さんは地元の高校を卒業し、大学に進学しました。変わらず海が好きで、高校を卒業してから、サーフィンも始めたそうです。大学3年生の頃から就職活動を始め、4年生の春には内定が決まりました。

内定後というのは多くの大学生が安心する時期ですが、須田さんはそのタイミングで「自分は何がしたいか」を本気で考え始めます。

「内定が決まった時、本当にしたいことを落ち着いて考える余裕ができました。やっぱり自分は自然と関わる仕事がしたいなと思い始めて、いろいろ探しましたね。その時、漁業就業支援フェアがあることを知り参加しました。

漁師に興味を持ったのは、手に職というか、自分にしかできないような職人のような仕事をやりたくて。海も好きだったので漁業っていいなぁ、聞いてみようかなと思ったんです」

須田さんはそのフェアに参加し、現在の親方となる、牡蠣漁師の藤田敦(ふじたあつし)さんと出会います。

「藤田さんとはフェアで初めて出会ったんです。その時はまだやるかどうかも決めていなくて。お話を聞いて、牡蠣は生産が安定していて自分の頑張り次第で収入も上がっていくことや陸前高田の牡蠣が有名なこと、漁場もいいことも分かりました。

あと藤田さんが『後継者がいないんだ』と話していて。課題ではあるかもしれませんが、ちょっとでもチャンスが多い方がいいなと思って牡蠣漁師を選びました」

最初は、違う親方に行く計画が進んでいたそうです。しかし予定していた親方が高齢と体調不良で漁を続けることが難しくなりました。改めて藤田さんに親方になってもらうようお願いし、藤田さんが受け入れを快諾。

大学を卒業し、漁師になるため陸前高田市に移住しました。

牡蠣漁師として生計を立てられるように

陸前高田での最初の1年間は、「いわて水産アカデミー」という県主催の研修プログラムで漁業の知識や技術を習得。授業のない日は、藤田さんと海に出て牡蠣漁を教わり経験を積みました。

そして、移住から2年目の昨年の夏。藤田さんから小型漁船といかだを譲り受け、同年10月には初の水揚げを迎えることができました。自分の牡蠣の水揚げまでは、10年はかかるだろうと覚悟していたそうです。2年というのは想定よりもかなり早いものでした。

「自分が譲り受けた船やいかだは、藤田さんのところで修行していた別の漁師さんが譲り受ける予定の物でした。その方が途中で挫けてしまって。自分が買わせてもらえることになったんです。親方も『やるからには実績をどんどん上げていけ』って。

漁師になって2年ですが、ここまで早く自分の牡蠣を出荷できると思っていなかったですね。こんなに早くできるのは本当に稀なことで、親方にはとても感謝しています。牡蠣漁師をやれている今は、恵まれていると本当に思います」

実は、須田さんの両親は須田さんが漁業の道に進むことを反対していました。そんな両親に初収穫の牡蠣を贈ったところ「身も大きくて美味しい」と喜び、今では応援しているそうです。須田さんの実直な仕事への想いが伝わっているのだと思います。

味方になってくれる陸前高田の人たち

漁師になるために移り住んだ陸前高田の印象を伺いました。

「普段からお付き合いのある方は、そんなに多くないんですけど、みなさんとても優しいです。近所のおばあちゃんが、一人で住んでいることを心配しておかずを作って持ってきてくれたりします。お返しに自分の牡蠣をあげたりしていますね。


大人の掌ほどの大きさの須田さんの牡蠣。商品シールには「都会っ子若漁師奮闘中」の文字が。

広田町の大野海岸に出かけた時、知らないおじいちゃんが声をかけきて。話してみると、漁業を辞めた方のようでした。『漁師になろうと思って高田に来たんだ』って言うと、おじいちゃんが現役時代に使っていた資材をたくさんくれて、『お前、頑張れよ』って。みなさんが親切にしてくれます」

大変だなと感じることも伺ってみました。

「移住した当初は本気でやりたい気持ちが強かったので、休まなくてもいけるなぁって思っていました。今でもその気持ちは変わっていないですが、休まず働くのはやっぱり大変ですよね(笑)。少し休むことも、いい仕事をするためには大事だなと思うようになりました」

学びを吸収する時期を経て、漁師として生計を立てることができるようになった。その成長があるからこそ、休息とのバランスも考えられるようになったのだと思います。

好きでやっているこの仕事が何より楽しいそうです。

人生は「短いかもしれない」。やりたいことは全部本気でやる

現代はライフスタイルが多様化していることで、選択肢も多くなっています。多いことで決断が難しいこともあるのではないでしょうか。

須田さんが何かを決める時、どんな風に考えてきたのでしょうか。

難しいですよね……と笑いながらも、言葉を紡ぐように答えてくれました。

「ちょっと偏った哲学ですけど。人生、いつ本当に死んじゃうか分かんない。人生のなかで経験できることは全てやりたくて。そのためだったら、ある程度の失敗も覚悟でやる。仕事も遊びも全部本気でやりたいですね。

自分のやりたいことにたどり着くのは、自分で小さくても行動してみること。それがだんだん次につながっていくんだと思います。本当にやれる小さな一歩から、みたいな。難しいですね……。アドバイスできるような立場じゃないです(笑)」

須田さんは言います。

「何をやるにも最初は怖いですよ。最初は自分に漁業ができるかなとか、力仕事がきついイメージもありました。けど、自分の進みたい道だから別にきつくてもいいや、って思えました。小さなことから、やるんだったら全力で取り組みたいなと思っているのが、自分かなと思います」

現在25歳の須田さん。穏やかな口調でありながら、やりたいことには全力で取り組む芯の強さを感じます。「自分が本当にしたいことは漁師」という答えにたどり着き、出港する須田さんの姿に本気になることの素晴らしさを教えてもらった気がしました。

 

Text:板林 恵

移住者プロフィール

須田大翔

東京都足立区出身。大学卒業後、2020年から陸前高田で漁業に取り組む。「いい刺激を与えてくれる人との出会いばかりで本当に恵まれています。自分は出会いの運だけはあるって思っています」。親方の藤田さんについては「ここまでしてくれる親方は他にいない」と感謝を語る。

インタビュー場所について

陸前高田市広田湾

太平洋に面するも、潮の流れが穏やかな内湾。海面に浮かぶ多くのいかだでは、牡蠣や帆立などの養殖業が盛んに行われている。漁師が手塩にかけて育てる陸前高田産の牡蠣は身が大きく濃厚な味わいが特徴。

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