コンテンツ
「陸前高田に住むのが小さい頃からの夢だったんです」
そうお話するのは、陸前高田市内の吉田歯科医院に勤める小野桃花さん。
なぜ陸前高田に来ることを夢見るようになったのでしょう。その想いを伺いました。
突然訪れた移住への選択
桃花さんは、愛知県刈谷市出身。母親が陸前高田出身だったため、小さい頃から数年に1度、陸前高田を訪れていました。幼い頃から自然のなかで遊び、野生の動物を見ることが好きだった桃花さんは陸前高田の自然に魅了されていきました。また、母親から聞いていた、陸前高田のお祭りや伝統芸能などにも興味を持ち続けていました。
大学を卒業後したら、陸前高田に就職し住む。それが、いつしか桃花さんの夢になりました。
2021年、桃花さんは愛知県内の大学で地域コミュニティ学部の福祉学科を専攻していました。大学1年生のとき、転機が訪れます。桃花さんの母親が、岩手県大船渡市に住む親戚の介護をするため、その親戚の家で暮らすことを決めました。
母親から「私は大船渡に行くけど、ついてくる?それとも愛知に残って大学生活をする?」と聞かれました。突然のことで、とても迷ったそうです。
「学位は取れていないし、取りたい資格もありました……。でも、両親には学生時代は、私の好きなように過ごさせてもらいました。ここでわがままを言うのは違うと思って、母親について行くことにしたんです。それに、もともと岩手県内か、できれば陸前高田に住むことは夢でしたし。引っ越すのが少し早くなったと思えば大丈夫かなと思って、大学を辞めて大船渡に住むことを決めました」
念願だった岩手の生活は、隣の大船渡市での暮らしから始まりました。
何をやっても上手くいかない1年だった
2021年4月に大船渡市に引っ越し、新しい暮らしを始めることになりました。夢だった岩手での生活に最初は希望を抱いていました。しかし、実際には親戚の家での暮らしも難しく仕事も上手くいかず、わずか2か月で退職することになり、とても落ち込んでいました。
「学生時代は途中で辞める経験はなく、根性があって継続が得意な性格だと思っていました。でも大学を辞めてからは、続けられないことが多くなりました。暮らしも仕事も上手くいかない、暗黒期みたいな。私、何のためにここに来たんだろうって……。岩手の生活は絶対に楽しい!と美化しすぎていたのかな、とも思いました」
落ち込んでばかりもいられないと新しい仕事を探します。2021年11月から陸前高田市内の吉田医院医院で歯科助手として採用され、大船渡から通いながら働き始めました。
吉田歯科医院の吉田重之副院長(左)と職員の皆さん
「歯科助手としては未経験でしたが、吉田歯科医院のスタッフはとても優しくて、本当に親切にしてくれます。患者さんも温かい人たちばかりで、仕事に行きたくないと思ったことが全然ないんです!」
「ずっと憧れていた岩手に来たのに、休日はいつも1人でした。私、このまま二十歳になるんだ。どうしよう……。そう思い悩んでいた時期に、愛知での成人式に参加したんです。久しぶりに会った友達に気持ちを全部話してめちゃめちゃ泣いてしまって。話を聞いた友人は『戻っておいで』って声をかけてくれました。けど、今諦めて帰ったら、これまでと同じ。それは嫌だから絶対に粘る!って決めました」
上手くいかない今を変えるために、まずは1つでも行動が必要だと考えます。
「はじめに住むところを変えようと思いました。ずっと住みたかった高田に住んだら、何か変わるかもしれない。もしそれでも変わらなかったら、高田の暮らしは諦めようって」
親戚の家を出て陸前高田で自分の力で暮らすことを決断します。
2022年3月、桃花さんの高田暮らしが始まりました。
夢だった陸前高田に移住したものの……
陸前高田に住み、歯科助手として働く日々は充実していました。しかし、1人で過ごす休日は変わりませんでした。休日は、陸前高田の自然の散策をすることがほとんど。また、母親から聞いていた陸前高田のお祭りや伝統芸能などにも興味はありましたが、参加するには至りませんでした。
このとき吉田歯科医院の副院長 吉田重之さんとの、ふとした会話が転機になります。「桃花ちゃん、休日はどんなことして遊んでいるの?」と聞かれたそうです。
「私は『友達がいないから毎週1人で漁港に行くのが趣味で。海を見ながら魚群を見つけるのが楽しいです!』って冗談っぽく答えたんです。そしたら、次の週に吉田副院長が『こんなイベントがあるけど、どう?』って紹介してくれたのが“高田暮らし交流会※”だったんです」
1人で過ごしていた時期に撮影した写真
人とのつながりを加速させた移住者交流会
移住者同士だから分かり合える話で盛り上がりました
交流会では、移住者同士の話のなかで様々な情報共有が行われました。ここで、桃花さんは日本の伝統芸能や文化、寺社仏閣巡りが好きだと話します。
すると参加者の1人から陸前高田市気仙町で毎年開催される「けんか七夕祭り」の手伝いに誘われたので、準備から参加してみることにしました。
「お祭りの準備に、たくさん同世代の方が来ていてびっくりしました。お祭りの準備に参加したことで、移住から1年以上経って、やっと地域の人と交流ができたんです。しかも準備だけじゃなく、お祭りの当日にみなさんが私を山車に乗せてくださってとても嬉しかったです」
けんか七夕(山車と山車をぶつけ合う勇壮な祭り)
お祭りの準備で、本当に仲の良い友達ができたそうです。けんか七夕が終わった後も、市内のお祭りや市民芸術祭など多くの行事に誘われるようになりました。
陸前高田市広田町の喜多七福神(きたしちふくじん)
仲町虎舞(なかまちとらまい)の笛吹を担当
知識はなくていいよ、と迎えてくれた人たち
実は桃花さんは、お祭りなどに参加するためには、大学で習得した専門知識がなければいけないと思っていたのだそうです。
「愛知で見てきたお祭りは、専門家が主導しているものでした。でも高田のお祭りは、住民が集まってみんなで作るもので『何も知らなくてもいいよ』って受け入れてくれる文化がすごいと思いました。震災でまちの景色は変わってしまったけど、美しい景色、人や文化は変わっていなくて、とても素敵だなって」
桃花さんにとっては「非日常」の景色
美しい自然があり、温かく支えてくれる人がいる。今は心から陸前高田で暮らす幸せを感じているそうです。
両親や陸前高田の人からもらったもの
桃花さんが愛知にいたころ、両親は「人からしてもらって当たり前のことはない。常に謙虚に、感謝の気持ちを忘れずに生きなさい」という言葉を伝え続けました。陸前高田で出会った人たちは、桃花さんを様々な場所に案内し、美味しい食事を提供してくれました。その優しさと温かさに触れて考えることー。
「愛知では当たり前のように、毎日楽しく過ごせていたのに、移住直後はとても辛い日々でした。私は結局、自分1人では何もできなかったんです。
これから移住する人には同じ経験をしてほしくない。なので、これからは私がインターンの学生や、移住を検討している人、観光で来ている人たちに、これまで私が高田のみなさんにしてもらったことを同じようにお返ししたいと考えています。高田でもらった優しさと温かさを、今度は私が多くの方に届けていけたらいいなと思っています。そして、私なりに高田の魅力を伝えていくとか、大好きな陸前高田のためにいろんなことに挑戦していきたいです」
「桃花」というお名前は、桃花さんの母親の実家にあった桃の木から名付けられました。毎年花が咲くころ、近所の人が花を見に訪れるほど美しい木だったそうです。陸前高田を自分のルーツとし、この地域で自分自身を育て根付かせる。いつか、桃花さんの想いが美しい花のように、咲き誇るときが来ることを願っています。
Text:板林恵(一般社団法人トナリノ)
※高田暮らし交流会
陸前高田市主催、移住定住をサポートするNPO法人高田暮舎が企画・運営を担う交流会。移住者同士や地元の人との交流・地域コミュニティとの接点づくりを目的として、アクティビティやお茶会、子育て交流会など、さまざまなテーマで開催。年齢や属性(U・Iターンなど)問わず、どなたでも気軽に参加できる場です。