まっすぐ進む道の先にあるものは「ふるさとへの恩返し」

2024.06.10

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「生まれ育ったまちのために力になりたい!」という想いをもって、2022年に陸前高田市へUターンをした、河野義希さん。

13年ぶりに暮らす陸前高田で、新たな一歩を踏み出しました。

河野さんのまちへの恩返しは、どのような形で実現していったのでしょうか。詳しく伺いました。

経験が将来の道しるべに

高田町の出身で地元の高校を卒業後、福島県の大学へ進学をしました。小学校から高校までは野球部へ、大学ではソフトボール部に入部し、充実した大学生活を送っていました。河野さんに転機が訪れたのは、大学2年生の春休み。当時、福島県大熊町でソフトボール部の合宿中に、東日本大震災が発生し、被災しました。

「原発が見えるところで被災し、すぐに部の仲間とともに避難所となった地域のコミュニティセンターへ避難しました。お年寄りの方や小さな子どもなど、たくさんの人が避難してきていたので、大学生だった私たちは、その日はボランティアの運営側として活動しました」

次の日、乗り合いの車で福島市へ戻る仲間とわかれ、河野さんは家族が住む、陸前高田市を目指して車を走らせます。携帯を持っている両親と全く連絡が取れず、無事に避難したのか、地元はどうなっているのか……。不安な気持ちを抱えながら向かったそうです。

「何も分からない状況だったので、帰らなきゃと思いました。すぐには着けず、宮城県本吉町あたりでガソリンがなくなってしまい、歩いて向かっていました。そしたら、陸前高田へ行くという人に運よく乗せてもらって。福島を出発して、高田に着くまで3日ほどかかりました」

「きっとここに避難しているだろう」と最初に立ち寄った、高田第一中学校で、無事に再会をはたします。しばらくは、家族と避難所で生活をともにし、大学がはじまるタイミングで、福島市へ戻ります。

ちょうど就職活動前の大学2年生のときに起きた東日本大震災。この時の経験が、就職活動へ大きく影響したと河野さんは話します。

「大学に入ったときは、仙台なり違うところで就職をするという考えでした。でも、震災があって、地元のために自分ができることは何だろう……と考えるようになって、違う場所に就職するよりも、いずれは陸前高田へ戻ってきたいと強く思うようになりました」

独立志向があった河野さん。まずは経験を積むためにと、大学卒業後は、岩手県北上市に本社を置く「株式会社みちのくジャパン」へ就職をします。株式会社みちのくジャパンは、フランチャイズ・チェーンの事業展開とテーマ型複合商業施設「アメリカンワールド」の運営やホテル事業など、幅広く事業を行っています。

いろんな事業を行っている会社で学びたいと思い、入社を決めたという河野さん。入社後は、アイスクリーム店とハンバーガー専門店でそれぞれ2年店長をつとめ、その後5年ほどはお弁当屋のマネージャーとして岩手と青森の本部へと配属になりました。

夢の独立

約10年つとめた会社で、知識と様々な経験を得られ、いよいよ独立へ。選んだ道は、陸前高田でのお弁当屋の開店でした。

「両親は、震災前まで地元で『くっく亭』というレストランを経営していました。最初はそのお店を自分バージョンでやろうかなと思いましたが、震災後復興したまちには、飲食店がけっこうあったので、うもれてしまうなと思ったんです。自分が経験してきたなかで、何かやれたらと考えたときに、現実的なのがお弁当屋さんでした」

2022年6月、まちなか陸前高田駅から徒歩5分のところに、河野さんが夢にみた、お弁当屋さんがオープンしました。

オープンから2年経ったいま、従業員は家族も含め、10名になります。

「オープン当日は、本当にお客さんが来るのかなと不安な気持ちはありました。でも、来てくれたお客さんたちを見て、やって良かったと思いました。子どものことで忙しくてご飯の準備ができないと来店したお客さんが『ここがあって良かった』と言っているのを聞いて嬉しかったですね」

自分で何かをするということは、大変なのは当たり前。それはご両親の働く姿を近くで見てきた河野さんだからこそできる、心構えなのだと思いました。

自分のお店をもったことで、自分に全てが返ってくるという、気持ちの面でいい意味での緊張感もあり、独立をして良かったと感じているそうです。

「独立して個人でやっていく大変さは親を見て分かっていました。お店を継いでほしいとかは言われたことはなかったですし、逆に継いでほしくないという雰囲気がありましたね。でも、昔から自分がやりたいと言ったことに関して、反対はせずやらせてくれていました。今回の独立も、嫌にならずに続けてくれると信じて応援してくれているので、感謝しています」

自分が感じたことを信じて、まずは一歩踏み出してみる

お店も軌道にのり、プライベートでは、2024年の春に約11年ぶりに野球をしたという河野さん。草野球チームにも所属し、久しぶりに大好きな野球で汗を流しています。

「自分が楽しく生きている姿を見せられないと、一緒に働いている人も、お客さんや周りの人たちも『こうはなりたくないな』って見ると思うんです。充実させようと自分なりに努力するようにしています。プライベートも仕事も、自分が楽しいと思えるようにしたいなと思いますね」

野球の他にも、時間があるときは散歩に出かけて、景色を楽しんでいるという河野さん。街並みがキレイになって、嬉しい気持ちもあり。自分が過ごしてきたときの景色がなくて、寂しい気持ちもあるそうです。河野さんが改めて感じる陸前高田の魅力とはなんでしょうか。

「第一に感じたのは、『人との距離感』ですね。人と人とのつながりが、確実にあるまちだなと思います。散歩をしていても、すれ違う人や出会った人と、お互いに自然と挨拶をする。都会ではあまりなかったことなので、素敵なことだなって思います。もう一つは、都会での暮らしに比べて、時間に余裕をもてる暮らしができることですね。時間がゆっくりと流れている感覚があります」

時間を有効に、そして楽しく活用している河野さん。最後に、陸前高田へ移住・Uターンを考えている人へアドバイスをいただきました。

「一歩踏み出す勇気です!どうしても人って、今の状態を守りたいという思考になるんですよね。一歩踏み出したほうが楽しい世界が待っているという風に考えられるかどうかだと思うんです。不安でマイナスな考えや情報に目がいってしまうと思うんですが、自分にとって、良い情報や良い言葉だけを見るようにして、自分の目や五感で体験をしてみることが大事だと思います。結局最後に決めるのは自分なので、聞いた話だけじゃなく、実際に体験をすることが大事だと思います」

Text:吉田ルミ子(一般社団法人トナリノ)

移住者プロフィール

河野義希さん プロフィール/肩書:お弁当屋店長

岩手県陸前高田市出身。大学2年生の春に東日本大震災が発生、福島県大熊町で被災する。この震災を経験したことで「生まれ育ったまちへ恩返しがしたい」という想いが芽生える。大学卒業後は、将来の独立へ向けて、様々な事業展開を行っている、岩手県北上市に本社を置く「株式会社みちのくジャパン」へ就職。飲食店の店長とマネージャーをつとめ、入社から10年後に独立。陸前高田市へUターンし、2022年6月には、今までの経験を活かすかたちで、「お弁当屋」をオープンさせる。仕事とプライベート、時間を有効に活用し、充実した暮らしを楽しんでいる。

インタビュー場所について

インタビューした場所:熊谷珈琲店

まちなか陸前高田駅から徒歩5分、まちの中心地にある「陸前高田市まちなか広場」の向かいにある珈琲店。本格的な自家焙煎コーヒーを楽しめ、陸前高田市で唯一、モーニング営業をしている。日頃から、仕事の打ち合せや休日にふらっと立ち寄ることも多いという河野さん。コーヒーを飲みながらの店主との会話が、息抜きのひとつになっている。

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