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陸前高田市の商店街「たまご村」の奥に、オレンジの看板をかかげたお店があります。どこか懐かしい雰囲気を醸し出す、看板とのぼり。カフェフードバーわいわいは、太田明成(おおたあきなり)さんが経営する飲食店です。今回は、今から22年前に移住してきた移住者の大先輩である太田さんに、移住の経緯や陸前高田での仕事、そして太田さん自身の生き方について伺いました。
移住の経緯
東京都で生まれた太田さんは、千葉県八千代市出身。19歳頃から、アルバイトから社員に登用され高速道路のパーキングエリアで長らく勤務していました。業務の幅は広く、勤務表の管理から仕入れ、うどんやカレーを作ってみたりと、ほぼ全般を担当していたそうです。奥様とは、この会社で出会い、1999年に結婚しました。
ある出来事をきっかけに会社の体質に疑問を感じた太田さんは、退職を決意します。しかし、実際に退職できたのは1年4ヶ月後のことでした。2002年に奥様のご実家がある岩手県陸前高田市に移住してきた太田さんは、その年、子宝にも恵まれました。奥様は4人姉妹で全員家を出ていたため、ご両親にも大変喜ばれたそうです。
太田さん「移住してきてびっくりだよね、あの当時たしかコンビニも1軒あったかどうかで、夜は真っ暗だし。最初の1年は失業保険と海の監視員のアルバイトをしながら生活していました。この年はたまたま冷夏で、全然お客さんが来なくて。何か資格でも取るかと、監視員の椅子に座りながら本を読んで調理師免許をとりました。」
夏のアルバイトが終わった後、市内飲食店の「俺っ家(おれっち)」でホールスタッフの募集があり、勤め始めます。マスターに怒られながら勤めた6年間は貴重なものだったと語る太田さんでしたが、ふと「家族も増えて今のままの給料で良いのか?」と思ったそうです。それから自分の店を持つことを考えはじめた太田さんは、マスターにも相談し、陸前高田駅前の選挙事務所として使われていた物件で、オープンの準備を進めます。
店舗開業と地域のつながり
インタビュアー「2002年にお子さんが生まれ、2009年に借金をしてお店を出す。ちょうど小学生にあがったくらいで、家族も増えてというころかと思います。新しい挑戦に対する不安や、家族からの反対はなかったんでしょうか?」
太田さん「昔からの計画があってスタートしたわけではないから、お金も何もない、借金からのスタートだったのでそこは失敗だったかなと思います。それに、お店を出すことに賛成してくれた人は1人もいませんでしたね。私の親も飲食店をやっていたこともあって、大反対。どんな店をつくるんだ、どうやるんだと、すごい言われました。当時の居酒屋に対するイメージもあったみたいです。一方、妻の両親は自分たちのやることだからと反対はしませんでした」
ビリヤードをおいたり、カラオケをおくという営業スタイルは、当時の陸前高田ではなかなか理解されなかったと語る太田さん。当時を振り返ると、俺っ家で出会ったお客様や、子どもの友達の親が来てくれたりと、田舎ならではの人のつながりを実感したそうです。オープンからわずか1年4ヶ月の営業で、のべ1万人以上が来店してくれたそうで、順調な経営でした。しかし、そのタイミングで東日本大震災を迎えることになってしまいます。
東日本大震災と新型コロナ
オープンからわずか1年4ヶ月で、東日本大震災により店舗を流失。2012年には、現在の店舗がある「高田大隅つどいの丘商店街(現:「たまご村」)」に仮設店舗をオープンします。当時は、深夜1時〜2時頃まで営業している市内でも数少ないお店でした。震災後の特需もあり、盛り返しを見せていたものの、新型コロナウイルスによってお客さんが全く来なくなりました。2020年3月にあった歓送迎会のご予約は軒並みキャンセル。3月だけでおよそ60万円の売上減少だったそうです。やむを得ない形でお弁当販売やテイクアウトに舵を切りました。
太田さん「今になって思えば、21時を過ぎた頃に2次会でいらっしゃるお客様はほとんど食事をされないんですよね。なので、お酒類を中心とした飲み物の注文が多くなります。一方、弁当の販売は、前日の仕込み、当日も朝から準備と、思った以上に労力がかかります。あの頃は、今に比べると楽だったんだなあとしみじみと感じてしまいますね」
現在は、店舗の営業は予約のみとなっており、お弁当販売とイベント出店に注力している太田さん。2024年はイベントの開催数が戻ってきた影響もあって、年間50日ものイベント出店をされたそうです。東日本大震災後、様々な変遷を経てこの形式に辿り着きました。
生涯現役の覚悟
2026年には還暦を迎える太田さんに、今後どのような未来を描いているのか伺ってみました。
太田さん「何か新しいことにチャレンジすることは中々できないので、まずはとにかくイベントに参加したいですね。以前は主催側から誘っていただくことが多かったんですが、今年は自分たちからとりにいきたい。昨年は、宮城県と千葉県で保健所の許可をとりました。今年はイベント出店を60日には増やしたいですね。体力的には衰えているのかもしれませんが、精神的にはまだまだ。自分で商売している以上、定年はありませんから、生涯現役です。」
たまご村の村長としての活躍
たまご村は、高田大隅つどいの丘商店街を、陸前高田市から払い下げを受けて運営している商店街です。現在はカフェフードバーわいわいの他、NPO法人、デイサービス、ダーツバーなどが入居しています。太田さんは、このたまご村の村長でもあります。賑わいを創出しようと定期的に開催している健康麻雀教室はだんだんと広がりを見せており、今では定期的な大会を実施するほどになりました。太田さんは健康麻雀についての講習を受けて、講師としても大活躍されています。
また、東日本大震災でたくさんの方から支えていただいたことを恩返ししていくための活動も実践されています。今後は、被災した現地での直接的な被災地支援にも力を入れたいと考えており、どういう関わり方ができるか、被災地の視察も始めています。
東日本大震災で被災し仮設商店街を運営、その仮設商店街の払い下げを受けて現在も運営しているという経験は、太田さんにしかありません。その経験やノウハウを他の被災地に提供するなど、太田さんならではの支援も考えていらっしゃいました。
「新しいことにチャレンジすることは中々できない」とご自身でお話しされていた太田さん。ですが、お話しを伺っている限りだと、新しいことに挑戦されているのは間違いありませんでした。
生涯現役の太田さん。これからの活躍にも注目です。
Text:清水健太(一般社団法人トナリノ)