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今回お話を伺ったのは「マルテン水産」に勤める漁師の三浦尚子(みうらひさこ)さん。
待ち合わせていたマルテン水産の事務所の前で立ち会うと、挨拶もほどほどに、建物の中へと案内してくれました。
「すいません。今は休憩時間なので、みんなでお茶をしているんです。インタビューはその後でもいいですか?」
と連れられた先はあたり一面に牡蠣が並んで、潮の香りが広がる作業場。たくさんのお菓子が乗ったテーブルを囲んで、従業員のみなさんが談笑されています。
マルテン水産の従業員の方々がひとつのテーブルを囲んで。お昼休憩とは別に、10時と15時の休憩でもお茶とたくさんの食べ物が並びます
作業場に入って椅子に座ると、早速ひとりの従業員の方が「私達はおやつもごはんもたくさん食べないと仕事ができないからね。食べることも仕事なんだよ。さ、たくさん食べてね」と、お菓子を勧めてくれました。続けざまに「どこからきたの?」「ここはこんなところなんだよ」と話しかけてくれます。
「みんな、とても元気ですよね。私も初めて来たときに、ああやって話をしながら『もうこのままここに住んでしまったら?』と冗談で陸前高田に移住することを誘われたんです。私はその気になって移住をして、そのままここに住み続けてしまっているんですよ」と三浦さん。従業員のみなさんとのお茶の時間から、三浦さんが普段過ごしている職場のあたたかい空気感が伝わってきます。
従業員のみなさんは休憩を終えると、それぞれの持ち場へ。三浦さんはインタビューを行うために私達を船に乗せて、海の上へと案内してくれました。
「やっぱり自分でも運転できるようになりたいじゃないですか」と三浦さん。自ら進んで船舶の運転免許を取得しました
船を動かし、ほどなくすると、かもめの鳴き声が飛び交う牡蠣の養殖いかだに船を停めた三浦さん。
「全然まとまっていないから、上手く話せないと思うんですけど」と少しインタビューに緊張した様子を見せながら、まずは陸前高田市に移住するまでのことを話し始めてくれました。
三浦さんは神奈川県相模原市出身。神奈川県内の高校を卒業してから、東京都内にある大学に通っていました。
「私、大学生の時はやりたいことが多くて結構フラフラしていたんです。なんか馬鹿らしいなと感じて、就活はすぐやめたんですよ。『普通に就活するのはなんか面白くないし、それならもともと興味の合った編集系の仕事に関わって、自分に力をつけたほうがいいんじゃないかな』と考えていたんです。だから就活はやめて、編集系の会社のインターンシップに参加して、お店へ取材に行ったり、ライターさんのアシスタントをしていました。『国際協力』とか『地域おこし』にも興味があったので、京都の限界集落に通ったりもしていましたね」。
個人でも精力的に活動していた三浦さんは、大学のゼミの活動をきっかけに、初めて陸前高田市へ訪れます。ゼミの活動では、市内の仮設住宅で暮らす方々から地域のことや震災のことを聞いて、文章にまとめる「聞き書き」を行ったり、お祭りを企画したりしていました。
右端に写っているのが大学生時の三浦さん
興味の範囲を広げながら、自分の目標とする職業へ携われるように。三浦さんは大学の卒業が近づいてくると、アシスタントをしていたライターの方から就職先を紹介されるなど、順調にステップアップを図ってきました。
「『自分の目標が達成できそうだな』って思っていました。でも、ちょうどその時期に家庭の事情でちょっといろいろあって。やりたいと思っていたことを断念してしまったんです。うまくいかないことにストレスが溜まってしまって、『なんかもうやっていられないな』みたいな感じになっていましたね」。
家庭の事情をきっかけに、自分の夢に向かうことを諦めざるを得なくなった三浦さん。すると、その三浦さんの様子を見かねたゼミの教授から『ちょっと今の環境から離れてみるのもいいかもしれないね』と、ゼミでの活動で知り合った陸前高田市の漁師さんがお手伝いを募集している話を紹介されました。
先生の話を受けた三浦さんは早速、大学を卒業した春に、漁師のアルバイトを行うために陸前高田市へ。その時、漁業の仕事を体験したことが、三浦さんが陸前高田市に移住する大きなきっかけとなりました。
「初めて漁業の世界に触れて、とても楽しかったんですよ。自分の知らない世界が開けたワクワク感がよかったんです。それに、一緒に働いていた人たちがとてもよくしてくれました。『このまま働いていたらいいのに』って声をかけてくれたりして。1ヶ月間のアルバイトを終えた帰りの新幹線の中ですごい寂しくなっていたんです。だから、家に戻ってから1週間後に『また働かせてください』って陸前高田に戻ってきて、そのまま今も働き続けています」。
三浦さんは、初めて漁業のアルバイトに訪れた1ヶ月後に陸前高田市へ住まいを移し、マルテン水産で働き始めました。マルテン水産が取り組んでいるのは、牡蠣やわかめ、ホヤなどの養殖事業。養殖された海産物は市場や飲食店へ卸します。三浦さんは海産物を養殖するところから出荷するところまでの一連の業務に携わっています。
「一番最初の仕込みの作業から、一番最後の出荷して食べてもらうところまでに関わることができているので、喜びが大きいんですよね。育てたものを食べてもらって、目の前で「おいしい」って言ってもらえるのがすごく嬉しいです」。
フォークリフトの運転もお手の物。力仕事から飲食店との販売対応まで。三浦さんは幅広い業務に携わります
三浦さんは漁師になって、今年で5年目。ほぼ毎日浜にいる仕事中心の生活を送っています。「仕事が段々とわかってきたからこそ見えてきたものがある」と、最後に三浦さんがこれから取り組んでいきたいことについて教えてくれました。
「今は漁師さんの高齢化が進んでいて、段々と引退する人が増えているんです。だから“陸前高田市で浜の仕事に就いてくれる人を増やしたい”と思っています。それと“陸前高田市の海産物のことを広めたい”という気持ちもあるんです。ここは築地の初セリで日本一高い値段が付けられるくらい評価のいい牡蠣を養殖しているんですが、そもそも陸前高田で牡蠣を作っていること自体が世間にあまり知られていないなと思っています。私もここにくるまでは知らなかったです。
そのために、もともと編集の仕事に就きたいと思っていた私が、他の漁師さん達が思っているけど伝えられないようなことを発信する『浜の編集者』になれるといいのかなと思っています。もちろんいつかは独立して一人前の生産者になりたい、という気持ちもあるんですが、それは誰か今の漁師さんが辞めるとなった時に、代わりにできるような状態に準備しておけばいいと思っていて。まずは陸前高田市の漁業のことを広めて、世間に定着させることができたら嬉しいです」
インタビューを終えると、それまでの緊張した様子がほぐれて、晴れ晴れとした表情の三浦さん。再び船を動かして、陸へと戻ります。
インタビューの中で、三浦さんは「自分のことをあんまり深く考えることはないんですが、周りの人のことはよく考えるんです。『あの人はどういう人なのかな』とか、『今、こういうことをしてほしいのかな』とか。自分のことは別によくて、他の人のことに目がいってしまうんです」ともお話してくれました。確かに、三浦さんと一緒にいると、常にこちらを気にかけてくれているような、優しい雰囲気が感じられます。
そうして他人を思いやる気持ちを持ち続けながら、三浦さんは今日もまた浜仕事に勤しんでいます。
「私がこの仕事をすることで、少しでも漁業へのハードルが下がって『働きたい』と思ってくれる人が増えてくれたらいいなって思います。さらに私が漁業のことを発信することで、たくさんの人にこの仕事や漁師さんのことを知ってもらえたら嬉しいです。そうすることで、一緒に働いている人たちに恩返しができたらいいなと思います。自分が今までよくしてもらった分、それを陸前高田の人たちに返していきたいです」
Text : 宮本拓海(COKAGESTUDIO)