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現在陸前高田市で活動する地域おこし協力隊は14名。第一次産業や移住促進など、同じ地域おこし協力隊ながら、多岐にわたる分野で活動が行われています。そのうち林業の分野に携わっているのは6名。今回お話をお聞きした北村裕人さんも、林業分野に携わる隊員のひとりです。
「岩手で生活するのは、今年で4年目なんです」という北村さんに、どのようにして陸前高田へ移住することになったのか、お話をお聞きしました。
北村さんが岩手県で暮らし始めたのは、2015年。東日本大震災を機に「何か地域のために役立つことがしたい」と考えていたところ、岩手県大槌町で林業に携わる仕事を見つけたのがきっかけでした。
「もともと、”産業を起こす”ことに興味があったんです。福岡で生活する前は、タンザニアで子どもたちに勉強を教える活動をしていたんですが、その時に感じたのが ”村に仕事がなければ、学校に通う意義を理解されにくい” ということ。
例えば仕事の少ないタンザニアの村では、お金を払って学校に通うより、とりあえず目の前の生活費を稼ぎたいと考える人が多かった。なので、ちゃんと生活の基盤を作っていくために、まずは仕事を作り、その仕事をするために勉強をするという流れが必要だと思いました。
大学を卒業後、青年海外協力隊としてタンザニアリンディ州に赴任した北村さん。中学校で数学を教えていました。
そういった経験を受けて、岩手で仕事を探していた時も”地域にあるものを生かして、産業を起こす”ことを意識していました。そこで思い浮かんだのが一次産業に携わること。もともと自然が好きだったこともあり、山での仕事もいいかなと思っていたところ、受け入れてもらったのが大槌町での林業の仕事でした」
当時林業経験がなかった北村さんですが、地元の人から「若い人が加わってくれるならうちは大歓迎です」と声をかけられ、その言葉に背中を押されて大槌町へ移住しました。
そこで約2年間、大槌町の人たちに教わりながら林業の仕事に取り組んだ北村さんは、三陸沿岸の風土を気に入り、「この地域に住み続けたい」という思いを抱くようになります。そんな中、友人づてに紹介されたのが陸前高田市の林業に携わる地域おこし協力隊の募集でした。
ちょうど少し環境を変えたいと思っていた北村さんは、陸前高田市で新たに林業に携わることを決意。2017年4月に陸前高田市地域おこし協力隊に着任しました。
次の世代の人たちへ、財産として残せるような仕事がしたい
現在は月に一度、自伐型林業推進協会の指導員から指導を受けながら、自伐型林業に取り組む北村さん。主な活動は、山に作業道をつくることです。
「日本の山は根本的なインフラがあまり整備されてない場所が多く、間伐などの作業を始めるまでが大変。そういった場所に作業道をつくっています。道を整えることによって作業現場のすぐ近くまで車で行けるようになるため、重い道具を運ぶ必要が減って山に入りやすくなる。それに大雨や台風の後など、気になった時にいつでも様子を見に行くことができます。より山に関わりやすい環境が少しづつでき始めているというのは気持ちがいいし、やりがいを感じています」
一般的に林業は山の状態を見ながら木を切り、木材を売ることで利益を生む仕事。しかし、北村さんが主に行う作業は、間伐を行う前の準備の段階。その時点ではすぐに自分の収入になるような仕事ではありません。
そんな中意識しているのは、「次の世代に何を残せるかを考えながら仕事をする」こと。
「今のタイミングで山に道を作っておくことで、いつでも誰でも山にアクセスできる環境になります。道を作るためには補助金に頼らざるを得ないところもありますが、次の世代の人たちに財産として残せる仕事をしようという気持ちがあります。
例えば、今自分が木を切って収入にできるのは少なくとも30年以上生きている木。つまり、30年前の誰かが管理をしてくれていたということです。一世代前の人たちのおかげで、自分が今収入を得ることができているし、今やらなければ誰もやらないかもしれない。そういう感覚は常に持ち続けています」。
バックホーと呼ばれる重機を使用して、山に新たな作業道を作ります。
「次の世代の人たちに残せる仕事をする」という北村さんの想いは、山に関することだけではありません。
地域おこし協力隊の業務として行っている林業の仕事のほかに、週に3日ある休日をいかしてピーカンナッツプロジェクトにも携わっています。
ピーカンナッツプロジェクトは陸前高田市が2017年から注力して行っている事業のひとつ。一度木が育つとあまり手間をかけなくてもいいことから、収益性が高く新たな雇用を生む事業として期待されています。
植えてから200年以上生きると言われているピーカンナッツは、まさに世代を超えてその土地に残っていくもの。実がなるまでに約10年かかる一方で、成長して実をつけるようになると長い期間収穫することができるため、生産・流通の拡大から地域の活性化にも繋がると言います。
「林業や農業に関わらず、その土地に残る産業を次の世代に残しておける仕事をしたい、というのが僕の中で共通していることです。
林業の活動も、ピーカンナッツも始めてすぐにはお金にはならない。でもつくってしまえば、ずっとそこから収益を得られるし、林業も道があって誰でもアクセスできれば山にはそこそこの年数の木があるので間伐ができて、それが仕事になる。
ピーカンナッツも同じように、はじめにちゃんと栽培して管理をしていれば、収入が得られるようになってくる。しかも200年くらい生きる木なので、ずっと産業としてその土地に残るわけです。山とかピーカンナッツの共通点を僕は『その土地に残る』ところにあると思っていて、そうした取り組みに関われるのだったらおもしろいなと思って活動を続けています」。
アメリカニューメキシコ州を訪れたときに訪問したピーカンナッツ畑。この木は、まだ10年生。ピーカンナッツの木は最大30メートルほどの高さまで成長します。
林業と農業、そして教育。やりたいと思うことを、全部やりたい
実は、林業やピーカンナッツプロジェクトのほかにも、大学院生の時に数学を研究していた経験を生かして高校生に勉強を教えたり、地域で行われるお祭りや消防団の活動などにも積極的に参加している北村さん。
インタビューを進める中で、度々「教育」に関するお話をしてくださいました。
子どもたちについて話す北村さんからは、それ自体をとても楽しんでいるような雰囲気が感じられます。
林業、農業、教育と、さまざまな分野に携わりながら、これからやろうとしていることはどんなことなのでしょう。
「そうですね、これからも興味のあることを全部やれたらいいのかなって思っています。何かひとつに絞って『これをやりたい』というのはあまりなくて。あれもしたいしこれもしたい、それでちゃんと生活が成り立つような環境さえ作ることができればいいなと思っています。
例えば、夏は農業、冬は林業をやりながら、日が暮れた後は子どもたちに勉強を教えるとか。実際に両立できるものなのかはまだ分からないのですが、それがちゃんと地域に還元されることを見据えながら、好きなことを仕事にしていけたら楽しいだろうなと思います」。
小さい頃から引っ越しを重ね、生活をするのは岩手県が7都道府県目だという北村さん。「ホームといえる場所がなかった」経験が、いまの活動につながっている、と続けます。
「進学のためにまちから出て行った子どもたちが、また帰ってこられることが大事だと思っていて。僕は、『地元がある人』の持っている財産はすごくいいものだろうなって思うんです。自分にないものだからこそ羨ましいというのもありますが、そういった人の生活が豊かなように見えて。
だからまちに戻りたい人、地域に愛着を持っている人が、ちゃんと地元に帰ってこられるような流れを生むために、陸前高田を受け皿があるような環境にしたい。そのために、地域で仕事をつくりたいと思うんです」。
インタビューの最後に、「実は、将来的にもう一度タンザニアで仕事をしたいと思っていて」とお話してくれた北村さん。
日本で事業をつくる経験を生かして、改めて発展途上国の教育に携わりたいと話します。
「当時は子どもたちの勉強するモチベーションを与えられなかった、という心残りがあって。なのでちゃんと仕事をつくってあげて、『こういう仕事するためにはちゃんと勉強しとけよ』という風に教えられたらすごくいいのかなと。
日本で『後に残る環境づくり』をきちんとやって、もう一度タンザニアに行って。仕事も、学ぶ意義もちゃんと分かるような形で伝えていけるような人になれたらいいなと思います」。
次の世代のことを見据えながら、これからも自分の想いに忠実にやりたいことへチャレンジしていく北村さん。
今日もまちの未来につづく「道づくり」をしていきます。
(Text : 山崎風雅)