通う人から住む人へ。みんなが「いていい」と思える居場所づくりをしたい

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東日本大震災から9年が経ち、一口に「移住」といっても、まちとの関わり方や暮らし方は多様化しているように思います。陸前高田に移住を選択した人たちが、それぞれどんなきっかけで来て、どんなふうに暮らしているのだろう?を紹介する「移住者に聞く」。

今回インタビューをした宮本さんも、陸前高田との長期的な関わりの中で、自分の暮らしを作っている一人だと思います。

訪問リハビリや予防介護・医療に取り組むロッツ株式会社で心理相談員として働く宮本さん。地域の夏祭りの運営や子どもたちに向けた「たかたもりあそび」の活動も主宰する宮本さんに、陸前高田に移り住んだきっかけや、様々な活動に取り組む思いをお聞きしました。

「通う人」から、「住む人」へ

宮本さんは、兵庫県生まれ兵庫県育ち。進学を機に上京し、大学では化学を専攻していました。

初めて陸前高田を訪れたのは、2013年。津波によって被害をうけた土地のかさ上げ工事や防潮堤の建設など、復興に向けたまちづくりが進められていた頃のことです。

「一度は被災地を見ておきたい」と思っていた宮本さんは、ボランティアで通っていた友人の誘いをきっかけに陸前高田へ訪れました。

「初めて陸前高田に来て、地域の方とお話をしたり、学童で子どもたちと遊んだりして過ごしました。帰り際に地域の方に『また来てね』と言ってもらって『また来ます』と言って別れたのですが、その『また来ます』に嘘をつけないって思ったのが最初ですね。

私はもともと自分の存在をとても小さく捉えているところがあって、周りに影響を与えられるような人じゃないと思っていたし、たいして自分の存在意義を感じていなくて。だから中学とか高校の頃は、『私のことはほっといていいよ』みたいな感じですごくさらっとした付き合いが多かった。でも、初めて来た陸前高田で言ってもらった『また来てね』は、確かに私に向けられた言葉で、ちゃんとそれを受け止めなければと思いました。すごく大切にしなきゃいけない言葉だなと。


陸前高田に通いはじめた20歳の頃、左端が宮本さん。

言葉の重みを感じた理由のひとつに、被災地だからというのはもちろんあると思います。当時はいろんな方がボランティアで陸前高田に来ていて、言葉を交わして。関わってくれた地域の方はきっとみんな誰かしら周りの人を失っていて、最後に交わした言葉が何だったかとかはそれぞれあると思うけれど、そういう状況の中で来て一度関係性ができたら、さよならはできないと思いました。

責任というと重い感じがするけど、出来た繋がりはなかったことにはならないんですよね。だから『また来てね』の言葉を毎回正直に受け取ろうと思って。気づいたら高田に通っていました笑」

参加者から、役割を持つ側へ

陸前高田の人たちとのやり取りから、月に1、2回東京と陸前高田を行き来するようになった宮本さんは、地域の集まりや夏祭りの運営などに参加するように。まちの人たちとの関わり合いが深まるにつれ、宮本さん自身の考え方も変わっていったといいます。

「人と会っていろいろと見せてもらうなかで、私は将来何になりたいんだろうとか、何ができる人なんだろうというようなことを考えるようになって。
大学で学んでいたけど、私の将来化学じゃないなと思ったんです。日々何を仕事にしたいかと考えたら、人と関わる仕事がしたいなと思ったし、特に子どもたちが遊ぶ様子を見てもっと子どもたちについて知りたいと思いました。それで役に立てたらいいなと、心理学を勉強することにしました」

大学卒業後、臨床心理学を学べる大学に編入した宮本さんは、放課後児童クラブに通って子どもたちの「遊び」について研究。大学院に入ってからは「たかたもりあそび」の活動をはじめ、陸前高田の子どもたちと一緒に身近な自然の中で遊ぶイベントを開催していました。

それまでのお手伝いや参加者としての関わりから、「地域に役割を持つ」側へ。関わり方の変化は、宮本さんにとっては一つの転機となったそう。

「自分の役割が地域の中にあるというのは、覚悟のいることでした。自分が主宰する活動を、もう手放せないというか。
今振り返ってみると、”何かやりたい”という気持ちは陸前高田の人になりたいって意味だったと思うんですよね。陸前高田で責任を持つ何かを持って初めて、この町の人になれるって思ったんだと思う。そういうところから、”通う”から”移住する”に意識が向かっていった気がします」

責任を持つことでしか見えない景色がある

2019年4月、大学院を修了した宮本さんは陸前高田市に移住。心理職として就労支援やカウンセリングの仕事をしながら、引き続き夏祭りや森遊びプロジェクトの運営をしています。

実は移住したばかりの頃、慣れない社会人生活や行事の多さなどから「暮らしを大切にできていない」感覚を抱いていた宮本さん。

移り住んで1年が経とうとする今は、「ここからが移住第二章という感じ」だそう。住みたかった地区に家を見つけ、訪ねてくる学生や友人を自宅に迎え入れる機会も増えたといいます。

「陸前高田に始めて来る人もいるので、そうした人たちに対して私自身もちゃんと高田の人として接したいと思って。『地域の人になる』とか『自分自身を高田の人として思えるか』ということをさらに意識するようになりました。言葉の選び方によっても、すごく伝わると思うから…」

ゆったりとした語り口でありながら、度々「覚悟」や「責任」といった言葉を口にする宮本さんからは、確かに「陸前高田の人になりたい」という強い意思を感じます。

「このまちにいる覚悟を持って、それ自体を良いことと思って選択することも大事にしたいんです。
最近は自由さを良しとするような社会の雰囲気もあるけれど、責任や役割を持つことでしか言えない言葉とか、見られない景色があるだろうなと思うし、そういう環境は自分にとっての居場所になる。だから、進んで責任を引き受けるのも悪くないなと思います」

聞くとちょっと重く感じがちな「覚悟」や「責任」といったことも、宮本さんにとって、陸前高田で暮らす上で重要な要素の一つ。通い、住む、その過程で「このまちの人になる」ということを一つ一つ腹決めしていったそうです。

「根を張りたい。今はまだ、吹けば飛ぶけどね!」と、けろっとした笑顔を見せる宮本さん。

これからやりたいことは、「みんなが『いていい』と思える居場所づくり」をすること、そして宮本さん自身がもっと「このまちの人」として暮らしに馴染んでいくこと。心理相談員としての仕事や森遊びなどの活動を通して、実現していくそう。

「自分が『いていい』と肯定できる状況って凄く大切なことだと思うから」。そう話す宮本さんにとって、陸前高田が大切な居場所であるように、宮本さんに関わる多くのひともまた、彼女の存在に支えられているんじゃないかな、と思います。

「陸前高田はもうよく知っているし、やりたいことを一緒にできる仲間もいる場所。地域に入って『宮本妃菜です』と名乗って生きるような生き方が今は理想です。そういう姿を、陸前高田の人たちに教えてもらった。初めて来た時の『また来てね』の一言から始まって、私はずっと、陸前高田に育ててもらっています」

 

宮本さんの「働く」
玉乃湯
訪問リハビリテーションさんぽ・ReBornデイサービス&フィットネスクラブ

(text:山﨑風雅)

移住者プロフィール

宮本妃菜さん

兵庫県宝塚市出身。大学在学中に陸前高田市を訪れたことを機に定期的に通い、友人とともに小友町上の坊地区の盆踊り「やんべプロジェクト」や「たかたもりあそび」の活動を始める。2019年陸前高田市へ移住、同年ロッツ株式会社入社。市内の薬局や病院で心理相談員を務める。

インタビュー場所について

インタビューをした場所:小友町上の坊「坂ノ下ひみつきち」

常膳寺観音堂へ続く坂の途中にある「坂ノ下ひみつきち」。宮本さんと地域住民の方、仲間たちと一緒に手作りした遊び場。「たかたもりあそび」では広々としたお寺のある敷地も使い、自然の中でのびのびと遊ぶことができる。

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