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今回ご登場いただくのは、陸前高田市・広田町に暮らす岡田美鈴さん。岡田さんは2016年4月、地元横浜市から陸前高田市へ移住しました。きっかけは、結婚。東日本大震災後、陸前高田市で復興支援活動をしていた夫の勝太さんと暮らすためでした。
現在は、移住前から勤めていた都内の会社からウェブマーケティングの仕事を請けながら、2歳になる息子の陽青(はるせ)君と3人で暮らしている岡田さん。この日のインタビューは、広田町にある自宅で。目の前に海を臨む平屋の古民家は、陽青君も広々と過ごせるお気に入りの場所です。
東京の仕事を辞めて移住し、子育てをはじめるまで。お子さんが生まれてからの生活の変化など。仕事と子育てに励む岡田さんが、どんなふうに陸前高田で暮らしているのか伺いました。
全然知らないのに歓迎してくれる人たちがいる、安心感があった
岡田さんは、陸前高田に移住して今年で5年目。東日本大震災後、一足先に東京から移住した夫の勝太さんは、学生時代からのお付き合いだそう。「そのうち陸前高田に住むかも」という意識は、岡田さんも結婚以前から持っていたといいます。
「付き合っていた頃から、自分もいつか陸前高田に行くんだろうなとは思っていたんです。私は住む場所にあまりこだわりがなくて、生まれ育った神奈川にいたいということも、東京じゃないとできない仕事をしているわけでもない。だから、陸前高田に住む意思の強い彼についていくのがいいかな、と思っていました。
陸前高田には付き合っている頃から何回か来ていて、どういう場所かはなんとなく分かっていたんです。他に知り合いはいなかったけれど、彼と関わりのある地元の方の家に招いてもらって、お腹パンパンになるまでご飯をいただいたりして。あたたかいなあと思っていました。全然知らないのに歓迎してくれる人たちが少なからずいる、ということが分かっていたから、移住することにあまり抵抗はなかったんだと思います」
唯一懸念していたという仕事は、転職エージェントへ相談したり、知人から紹介を受けて探した後、最終的に東京で勤めていた会社から在宅でもできる仕事を請けて続けることになりました。
そうして移住したのが、2016年のこと。陸前高田に来てからしばらくは、自宅でウェブマーケティングの仕事をしながら、近所のワカメ漁師さんの手伝いをする日々を過ごします。
「振り返ってみると、最初の頃は引きこもりみたいな感じだったと思います。在宅の仕事をしていたし、車の運転に慣れていないからあまり遠出をしたくなくて、ワカメの仕事以外は平日も休日もほとんど家にいて。
生活が不便なことは覚悟していたから平気だったけど、フラットに話せるような友達がいないのは少し大変でした。友だちを作る方法すらわからなくて、どこに行けば知り合いができるんだろう、みたいな。
1年くらいそういう期間があって、友達がいないことを気にかけてくれた近所の人に『食生活推進改善委員というのがあるよ』と勧めてもらって参加するようになったんです。栄養学とか食生活について勉強したり、地域で料理教室を開いたりする集まりなんですけど。
もともと料理が好きだったから楽しくて、なにより陸前高田に住む色々な人と知り合うことができたのが大きかったです。『田舎のおばあちゃん』にも色々な人がいるんだなってことが分かったし、世界が広がった感じがして。世代は離れているけど、知らない人と出会うのはやっぱり大事だなあって感じましたね」
その1年後、移住して2年目の冬には男の子を出産し、一児の母になった岡田さん。在宅でできる仕事を続けつつ、子育てに励む日々。夫の勝太さん、まもなく2歳になる陽青君との陸前高田での暮らしを、どんなふうに感じているのでしょうか。
「子育てをするようになってから感じるのは、陸前高田に暮らしていることそのものが、私自身にも子どもにも想像以上に良い方向にはたらいているな、ということです。
子どもと二人きりで家にいる時間が長いと、お互いにつかれてしまってギスギスすることもあって。そういう時はちょっと外に出て、鳥の鳴き声とか波の音を聞いてみたりするんです。それだけでも、二人とも気持ちが落ち着いて『帰ってりんごでも食べよっか』ってなるんですよね。そういう自然環境が身近にあってできる良さを、実感したというか。
それに、外に出ていれば誰かしら近所の人に会って『どうしたの』って話しかけてもらえて。お互いにリフレッシュになるんです。
移住する前は、田舎はどちらかというと干渉がすごくて面倒くさそうっていうイメージがありました。でも、実際に子育てをしてみると自分にとってすごくプラスにはたらいている。子どもが血の繋がっていないおばあちゃんたちに溺愛されていて、それが衝撃的でした」
陸前高田での子育ては、親子だけで完結しない感じ。いつものお散歩コースだという家の周りを歩いていると、陽青君を気にかけて声をかける近所の方がいました。
岡田さんだけでなく、周りのひとたちもまた、家族の成長を見守っている。岡田さんのまわりに、暖かい空気が広がっているように感じます。
「ここにいればいろんなおじいちゃんおばあちゃん、外からくる若い人たちとか、なかなか出会わないような人たちに出会える環境があります。漁師もいれば農家もいる。移住してきた仲間もいるし、小さいうちからいろんな人にであって多様な生き方に触れられるというのもまた、子どもにとっては選択肢の広がる、良い環境なのかもしれないと思いますね」
愛着の生まれたまちと、もっと寄り添う暮らしへ
もともと引きこもりがちな性格だったという岡田さんが、お子さんと一緒に外へ出歩くようになり、「岩手にもいろんないいところや面白い人たちがいるな」と、だんだん愛着がわくようになったのはここ最近のこと。住む場所にあまりこだわりのなかった岡田さんにとって、想定外の感情だったそうです。そんななか「ちょっと働き方も変えていきたいと思い始めて」という岡田さんへ、インタビューの最後に、描いているこれからのイメージを伺いました。
「ゆくゆくは、今までのように家でパソコンの画面に向き合う時間を減らして、自然に寄り添った生活をしていきたくて。今も自然を近くに感じてはいるけど、仕事でも感じられるような。もう少し田舎っぽいこと、田舎にいるからこそできる仕事をやってみたいと思っています。
子どもが生まれて、自分の関心が自然環境とか、環境問題に向くようになったんです。息子が生きていく80年100年先が、いい地球、いい世界であったらいいなみたいなことを漠然と考えるようになったからですかね。せっかくだから、この土地でしかできないことをするのもいいなと思っています。年々愛着をもつようになってきたから、地元の人に還元できるような仕事ができたら嬉しいですね」
text:山﨑風雅