サラリーマンから漁師の道へ。「いつかはここに、自分の船を浮かべたい」

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今回お話を聞いたのは、佐々木快昌(ささきよしまさ)さん。2019年春、勤めていた会社を退職し、千葉県から陸前高田市へ移住。牡蠣養殖を営む佐々木商店の三代目・佐々木学さんの弟弟子として、牡蠣漁師をしています。

出身は、岩手県の最北端・久慈市。自転車で海まで行けるほど自然に近い場所で育ったという佐々木さんですが、もともと海に関わる仕事に興味があったのではないそう。むしろ「田舎暮らしが嫌で、関東に出た」といいます。

牡蠣漁師を志し、移住して一年半。今ではすっかり日に焼けた肌が似合う佐々木さん。

千葉から陸前高田へ、サラリーマンから漁師へ、どのようにその道を辿ることになったのか、伺いました。

遊びに来るたびに人と繋がっていく感じが面白かった

「高校まで地元の久慈市にいて、卒業後は神奈川県の大学に進学しました。育った場所が結構田舎で、田舎暮らしが嫌で都会に出たかったんです。卒業してからはクレーンなどの重機を扱う会社に就職して、神奈川や千葉に住んでいました」

都会の生活を謳歌していた佐々木さんが陸前高田に関わることにきっかけになったのは、同じ久慈市出身の同級生。東日本大震災後に陸前高田へ移住した友人の誘いをうけて、東京で東北沿岸の物産品を販売するイベント「気仙フェア」を手伝ったことからでした。

「東京で陸前高田の海産物を販売するから手伝ってと誘われて。下北沢で、陸前高田の漁師さんたちと一緒に牡蠣やワカメの販売をしました。そのあと、一緒に参加した人たちと『実際に陸前高田に行ってみよう』という話になって、ちょくちょく遊びに行くようになって。地域の盆踊り復活を目指して活動する『やんべプロジェクト』も出来たりして、一、二ヶ月に一度は陸前高田に通うようになりました」


盆踊り復活プロジェクト『やんべプロジェクト』の集合写真。小友町・上ノ坊地区にある常膳寺に沢山の人が集まった。

地域の集まりや飲み会に参加したり、ワカメ養殖を手伝ったり。地元の人だけでなく、関東から仕事で来ている人や移住者など色々な人と出会えることが面白くて、仕事終わりの週末、ひとりで車を走らせることもあったそう。

「遊びに来るたびに人と繋がっていく感じが面白くて。ただ、楽しい楽しいと思いつつ『絶対移住はしない』と思っていました。

もともと田舎暮らしがいやだと思って関東に出たし、田舎の嫌いな部分が自分に染み付いていたから『遊びに来る分にはいいけど』って。すでに関東に10年くらい住んでいて、都会の生活は捨てられないよと思っていました。

 

転機は、仕事で色々とあって、それまでの自分の考えが一気に崩れていくタイミングがあった時ですね。気付いたら、陸前高田のことばかり考えるようになっていました。

同じ頃、一緒に陸前高田に通っていた友達が移住をすると聞いたときに『あー、ずるいなあ』と思ったんです。自分のいないところで、これから面白いことをするんだろうなと。それは、なんかずるいなって思ってしまった。

陸前高田に関わるきっかけをくれた友人とも話して、『今つまらないと感じているんだったら、10年先のことを考えてみろよ』と言われたんですね。『今のままの自分と、思い切ってやった10年後、どっちが満足感あるか?』と。僕も吹っ切れて、仕事辞めて、移住しよう!と決めました」

やっぱり、牡蠣漁師が面白い

陸前高田に来ることを決めた佐々木さん。移住して「何をやろう」と考えたときに思い浮かんだのは、遊びに来ていた頃に訪れた牡蠣養殖の現場でした。

「初めて佐々木商店に行って牡蠣養殖の作業を見せてもらったとき、すごく面白かったんです。実際に牡蠣の筏や作業場を見たり、牡蠣を扱う作業をどうすれば上手くなるかという話をしてくれて。それまで一次産業に携わったことが全くなかったから、普段食べている牡蠣がこういう風にできているんだって、興味を持ちました。

あとは、自分の思っている漁師のイメージと全然違ったのも印象的でしたね。地元で漁師になる子たちって、中学校卒業してすぐサンマ船に乗るみたいな、ちょっとやんちゃというか怖い奴ってイメージがあった。でも陸前高田の漁師さんたちに会って、全然違うじゃん、めちゃくちゃ面白いじゃん!って。漁師のイメージが変わったというか。

気仙フェアの様子。中央が佐々木学さん。「学さんの最初の印象ですか?チャラい!(笑)髪の毛が半分金髪で、ノリも若い。アハハハってよく笑う、明るい人だなあって思いました」

『やっぱり面白いのは牡蠣漁師だよな』と思ったから、『誰と働きたいか』『雇ってもらえる規模か』を考えて、佐々木商店・学さんのところへ『弟子にしてください』と話をしに行って。ちょうど岩手県で一期生の募集をしていた『いわて水産アカデミー』に通って漁業の基礎を学びながら、佐々木商店で働かせてもらうことになりました」

理想は「なんでもできる漁師」になること

2019年春、佐々木さんは陸前高田に引っ越して、漁師としての一歩を踏み出します。並行して、それまで関わっていた盆踊りプロジェクトや地域行事、民泊修学旅行生の受け入れなど「やることいっぱい」の移住生活を送っていた様子。

「とにかくめまぐるしかった!」という佐々木さん、この一年をどんな風に振り返りますか?

『一年目だから』を理由に、興味のあることは全部やりました。町中のお祭りに参加して、民泊もやって、水産アカデミーもあって、もうずっと頭を回転させてる感じ。めちゃくちゃ大変でしたけど、すごく濃かったし、心残りはないですね。ないけど、まだまだ陸前高田の地名も人も知らないし、もっと自分も出歩きたい。満喫するために、まだあるぞ!と思っています(笑)

漁師の仕事は、初めてのことばかりで、自然に向き合う仕事特有の難しさを感じたというか。分からないことが多くて、自然の『今こうだ』『今日の天気はこうだ』っていうのをぱっと見て判断しなきゃいけない、それが一番難しかった。

 

一年が経って、仕事の流れもだいたい掴めるようになってきました。去年よりはビジョンが見えてきたし、漁師としての独立を見据えた動きもでき始めていて、一気にスピード感が出てきた感じがしています」

いずれは一漁師として独立を目指す佐々木さん。新規就業のハードルや取り巻く環境の変化に頭を悩ませつつも、「加工もやってみたい」「ワカメ養殖はどうか」と、イメージを膨らませます。佐々木さん、理想の漁師像はどんな姿なのでしょう。

「僕自身は、”なんでもできる漁師”になりたいと思っているんです。

学さんのお父さんであり師匠の洋一さんがすごくて、もともとは大工さんなんだけど、昔はわかめに牡蠣に米にコウナゴ漁にってずっと働いてたらしい。だから、なんでもできるんです。学さんも、専門的に学んだわけじゃないのに電気のこととか詳しい。言ってすぐ返事が返ってくるから、かっこいいんですよね。知識があって、知識から応用していろいろできるから、漁具も全部作れる。オタク気質っていうのかな、自分もそうなりたいなって。

何かあったときに『いいよいいよやるやる』って言えるような。そういう人をかっこいいなって思います。

佐々木商店で仕事していると、漁師ってこんなことまでやるんだっていうような、漁業からぽっと出たような仕事があるんです。働いていると、漁業以外にもすごく勉強になる。これからも自分の軸は漁業だけど、そこから派生して好きなこともやれたら理想的。やりたいことを重ねて広げていって、あの人もオタクだなって言われたら、最高だなと思います」

今、佐々木さんにとって学さんは「憧れであり目標」、先生であり先輩、ときに兄弟や友達のような、いろんな面を持つ存在、だそう。そんな「新しい時代の漁師さん」と、いつかはライバルのように肩を並べて仕事ができる日を目指して。佐々木さんは今日も、牡蠣筏の並ぶ海に繰り出します。

text:山﨑風雅

移住者プロフィール

佐々木快昌さん

岩手県久慈市出身。久慈市内の高校を卒後、神奈川県内の大学に進学。重機等を扱う会社に就職し、神奈川・千葉県で10年過ごす。三陸沿岸の物産販売イベント「気仙フェア」に参加したことをきっかけに陸前高田に通い、2019年4月移住。牡蠣養殖を営む佐々木商店に勤務。

インタビュー場所について

インタビューをした場所:脇ノ沢漁港

陸前高田市米崎町にある脇ノ沢漁港。牡蠣養殖を営む作業場が並ぶ一角に、佐々木商店があります。港から臨む湾内には牡蠣の養殖筏がずらり。「いつかここに、自分の船を浮かべるのが夢」と佐々木さんは言います。

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