自分が自分でいられることを、ちゃんと大事にしていたい

2021.02.26

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橋詰さんは、2020年6月、「株式会社 箱根山テラス」で働くことを決めて、東京から陸前高田へ移住しました。担当はマネージャー。傍ら、会社員時代から続けているビーチスポーツを陸前高田でも、と「三陸フレスコボールコミュニティ Boa sorte(ボアソルチ)」を立ち上げて、三陸エリアを中心に活動しています。

移住を決める前、「実際に現地を見てみたい」と一泊二日で陸前高田を訪れたり、東京でひらかれた交流イベントに参加していた橋詰さん。

インタビューを行ったのは、移住して半年が過ぎた2021年1月。今回は、あらためて橋詰さんが移住するまでのことを一緒に辿りながら、陸前高田で送る日々の様子を伺いました。

東京しか知らない自分へ、劣等感があった

「陸前高田へ来る前は、ずっと東京に住んでいました。『自分は東京でしか暮らせない』と思っていたくらい、東京の生活しか知らなくて。環境はすごく恵まれていたと思います。でも、どこか劣等感も抱いていて。

小学校から大学までエスカレーター式に進学をして、周りにも似たような環境で育ってきた同級生が多くいました。大学に入ると、いわゆる『外部生』と呼ばれる人たちが入ってきて、地方から上京して一人暮らしをしていたり、なかにはすごく苦労しながら生きている人たちもいて。そうした人たちが、自分にはすごくたくましく見えたんです。周りは『東京出身でいいじゃん』って言うけれど、親元を離れて頑張って生きている人たちを純粋にすごいなと思っていたし、憧れもあった。自分も一度は実家から離れて暮らしたほうがいいんじゃないか、という思いがありました」

大学を卒業後、都内のCM制作会社に就職した橋詰さんは、28歳のときにスポーツツーリズムによる地域活性化事業を行う会社に転職します。それまで「東京しか知らなかった」橋詰さんが「田舎で暮らす」ことを意識し始めるようになったのは、仕事で地方へ出向く機会が多くなっていったことからでした。

「前職時代に、仕事で東京以外の地域に関わる機会がよくありました。地方に行くのは自分にとって新しい体験で、衝撃を受けて。場所も人もすごくよかったんです。だんだん田舎に興味を持ち始めて、漠然と将来は人があまり多くない田舎町で暮らしたいなと思うようになりました」

元々ビーチスポーツをやっていたことや、旅行好きだったことが重なり「好きな海の近くにある宿泊施設で働くのもいいかもしれない」という気持ちが芽生えた橋詰さん。ちょうど、身をおく環境の情報の多さや人間関係の疲れを感じていた時期でもありました。

「自分を保つためにも、今いる環境を離れた方がいいのかもしれない」。橋詰さんは、探していた移住メディアの求人のなかから箱根山テラスの募集を見つけます。

「建物としての箱根山テラスの魅力はもちろん、写真で見たテラスからの景色にビビっと来るものがあって、ここが自分とこれから繋がっていくんじゃないかというような直感を抱きました。

『まずは行ってみないと分からないな』と、求人を見つけてすぐに高田暮舎に連絡をして、2020年の夏に初めて陸前高田を訪れました。来てみたら、移住者もたくさんいると知れたし、なにより自分の感覚はずれていなかったと思うことができた。これは暮らせないなという感じは全くしなかったんです」

それは、橋詰さんのなかにあったいくつかの理由がシンクロするように重なったタイミング。移住することを決めた橋詰さんは、2020年6月、市内のアパートに引っ越して、陸前高田での生活が始まりました。

必要な人と、自然とつながっていく

移住してから陸前高田で過ごす多くの時間を、職場である箱根山テラスで送ってきた橋詰さん。入社から半年たった現在は、マネージャーとして、施設をまとめていく存在になりつつあります。

この半年の印象を聞くと「日々新しいことに触れて、考えながら、少しずつ成長してきた感じ」。新しい職場や生活環境にもがきながら、ゆっくりと歩みを進めてきたようです。

「接客も施設運営も初めてなので、日々新しいことにコツコツと取り組んでいました。特にお客さんや従業員の方々との関係は、移住前には見えてない部分。ゼロから関係性をつくってゆくのは、思ったより難しかったですね。自分よりも年上の方や地元の方とどういう距離感で接するのが良いのか、最初はよく分からなくて。

悩んでいたときに、お世話になっている気仙沼の美容師さんから、一関のゲストハウスを紹介してもらったんです。泊まりに行ったら、はじめて施設運営や接客の相談をできる方に出会うことができた。そこでやっと、少しふっきれた気がします。気持ちに余裕が出てきたし、つい考えすぎてしまう自分には向いていないんじゃないか、と思っていた接客業も、今はだんだん好きになり始めていて。

そんなふうに、陸前高田に来てからの出会いが、不思議と自分の進みたい方向へとつながっていく感じはずっとあります。とてもありがたいし、箱根山テラスもそういう場所にしていきたいと今は思っています。来る人たちが、必要な人と繋がっていける場所になっていけたらいいですね」

 

橋詰さんは、箱根山テラスの仕事のほかにも、会社員時代から続けているビーチスポーツ「フレスコボール」の活動もしています。フレスコボールは、ブラジル・リオデジャネイロ発祥のビーチスポーツ。板でできたラケットを使い、羽子板のようにラリーを楽しむ競技です。

友人の誘いをきっかけにフレスコボールを始めた橋詰さんは、本場ブラジルで行われた選手権で日本代表に選出されたこともあるほどの腕前。現在は「より暮らしに近いものとして続けたい」と、選手ではなく個人で楽しみながら、陸前高田や周辺地域でもフレスコボールの輪を広げています。

「移住して間もない頃にSNS等を通じて知り合った岩手県内の友人たちが、箱根山テラスを訪れたり、フレスコボールをしに来てくれるようになりました。8月に初めて人を集めてフレスコボールをやってみたら、思ったよりもたくさんの人が来てくれて。個人的にはその日の出来事がとても印象に残っています。それまで岩手県内で仲良くしてくれていた人たちが一気に集まってくれたのがすごく嬉しくて。

みんなにフレスコボール自体を楽しんでほしいという気持ちもありますが、一番の良さは、初めましての人同士がどんどん繋がっていくこと。最近はちょっとずつ、子どもたちや地元の人が参加してくれることも増えてきました。僕自身も、フレスコボールを通じて、地域の人たちともつながりができたらいいなと思っています。自分をちゃんと知ってもらえるきっかけになると思いますし、フレスコボールを通じた関わりを、陸前高田でも少しづつ広げていけたらいいですね」

自分が自分でいられることを大事にしたい

インタビューのなかで、橋詰さんは何度も「少しずつでいいから」という言葉を口にしていました。直感を頼りに陸前高田へ飛び込む姿からは、とても勢いのある人のように見えるけれど、陸前高田にいる橋詰さんは「一歩ずつ着実に」進んで行くことを大切しているようです。

インタビューの終わりには、いつか陸前高田の木材を使ったフレスコボールのラケットを製品化してみたいんです、とも教えてくれました。そうした「やりたいこと」に向かって、橋詰さんはこれからも、自分のペースで進んで行くのだと思います。

「東京にいた頃は、周りからどう見られているかとか、自分のイメージをすごく気にしていたんです。その通りの姿でいなきゃいけないと思っていたし、振り返るとあほくさいなと思うけれど、そんなものに惑わされて自分を見失いそうになっていました。

今は、もっとちゃんと自分を大事にしていきたいなと思っています。『大事に』というのは、他者を優先しないことではなくて。周りからどう思われるかは気にせずに、ちゃんと自分が自分でいられることを大事にするというか。

そう考えると、もう慌てなくてもいいんですよね。焦ってやろうとすると疲れるし、続かなくなっていく。歩みはゆっくりかもしれないですが、着実に進んでいけたらいいなと思っています」

text:山﨑風雅

移住者プロフィール

橋詰友人さん

東京都中野区出身。東京都内の大学を卒業後、CM制作会社を経て、スポーツツーリズムによる地域活性化事業を行う会社に勤務。2020年6月、陸前高田へ移住。株式会社 箱根山テラスで施設マネージャーを勤める。「三陸フレスコボールコミュニティ Boa sorte」を立ち上げて活動中。

 

インタビュー場所について

インタビューをした場所:箱根山テラス

橋詰さんが「びびっときた」という、箱根山テラスから臨む陸前高田の景色。「ここからの眺めは、自分と陸前高田を繋ぐ原風景。全てをリセットできる場所でもあり、これからより自分らしく生きていくための原点でもあります」。

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