「本当に求められていること」と「自分がやりたいこと」が重なるところを見つけたい

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多勢さんは、2020年6月、彼女の瞳さんと一緒に陸前高田へ移住してきました。
陸前高田へ来たのは、引越しの直前に家探しをするため訪れた一度のみ。それ以外はすべてオンライン上で情報を集め、移住先や仕事を決めていきました。

昨年10月、地域おこし協力隊に着任して、陸前高田市観光物産協会に勤める多勢さん。千葉から陸前高田へ、移住するまでの道のりを、どんなふうに辿ってきたのでしょうか。

まずは、移住を考え始めた経緯から。思い出の場所だという大野海岸の防潮堤に腰掛けて、学生時代の出来事から話し始めてくれました。

人のために頑張る姿を、かっこいいと思った

多勢さんは、千葉県船橋市出身。高校までは野球に打ち込むスポーツ少年でした。卒業後は、東京都内の大学へ進学。専攻に国際環境法を選んだのは、「人のためになる仕事をしたい」という思いがあったからだそうです。

「大学へ入学してすぐに、東ティモールの子どもたちへ教育支援を行う学生団体に参加しました。

中学生の頃にテレビで見た、アフリカで井戸を掘る人たちの映像がずっと心に残っていて、高校を卒業したら野球をやめて自分もなにか人のためになるような仕事をしたいと思っていたんですね。あとは僕の父が看護師をしていて、東日本大震災の時に災害派遣医療チームのメンバーとして陸前高田に行っていて。帰ってきた父に見せてもらった瓦礫だらけの町の様子、そこで頑張っているボランティアの人たちを見て、人のために頑張る姿を純粋にかっこいいと思っていたのもありました。

東ティモールでは、現地の学習塾と連携して英語教育事業を行ったり、子どもたちと国際交流をしたりしていて。在学中の4年間、春休みや夏休みには1ヶ月間現地に滞在して活動していました」


東ティモールの子どもたちに英語を教える多勢さん

団体の代表も務め、熱心に活動に打ち込んでいた多勢さん。一方で、世代交代すると学生のやりたいことが変わり活動が続かなくなっていく状況に「本当に子どもたちの役に立っているのか」「自分のエゴを押し付けているだけなではないのか」と疑問を抱くようになりました。

そこで、「ビジネスと結びつけて、持続的な支援活動を実現できる人になりたい」と、東京の人材会社に就職。海外に赴任して事業開発の経験を積むことを目指します。

新型コロナウイルス感染症が広がり始めたのは、多勢さんが入社して2年目になる頃でした。
「コロナが流行りだして、3年目くらいから行けたらと考えていた海外赴任の話が何年先になるかわからない状況になって。リモートで仕事をしていたのですが、体調を崩してしまい休職しました。休職期間中に、そもそもこの会社に入った理由や、自分はどのような暮らしがしたいのかを改めて考え直したんですね。

思い浮かんだのは『もともとあるものや、いいものを大事にしながらうまく発展させていくような仕事がしたい』、もうひとつは『東ティモール的な暮らしがしたい』ということ。

東ティモールの首都でホームステイをさせてもらったとき、地方から出稼ぎに来て同じ屋根の下で生活している村の人たちに出会いました。彼らは血が繋がっていないけど、同じ村出身の高校生を大学に行かせるために働いてお金を稼いでいて。なぜそこまでするのか聞くと『子どもたちには投資するのが当たり前だ』と。そういう関係を、なんか人間らしくていいなと思ったんですよね。自分が東京や千葉にいるときにはなかなか感じられないような経験だったから感銘を受けたし、そういう生活を送りたいなと思って。

そのふたつをやりたいと模索するなかで、地方で暮らす選択もありだなと気付いたんです。移住に関するウェブサービスを見ていく中で地域おこし協力隊の制度も知って、面白そうだなと思いました。彼女にも相談して、ふたりで移住できる場所を探すことにしました」

画面越しに伝わる、なんだか面白そうな雰囲気に惹かれて

移住先を探すことにした多勢さんが始めたのは、徹底した情報収集でした。「全国移住オンライン相談会」に参加して市町村の話を聞いたり、大学生の時にお世話になった地方在住の方に話を聞いたりといろんな地域の取り組みを調べながら、移住先を決めるための軸を定めていった多勢さん。一緒に移住する瞳さんと話し合って決めたのは、「お互いのやりたい仕事ができる」「家族が住む千葉から近い」「生活費をできるだけ下げられる」ことでした。

「調べていくうちに、自分たちの憧れる移住生活や『こういうことがしたい』といった軸が見えてきて。いくつか絞った選択肢のうちのひとつが陸前高田でした。

きっかけは、高田暮舎のオンラインイベント『人生横丁 第二夜』に参加したこと。移住者の久保さんや、林業の平山ご夫妻が出ているのを見て、なんだか面白い人がいるなと思って。雰囲気が好きだし、自分の肌に合っている感じがしました。それから陸前高田のイベントにはすべて参加をして。

コロナの影響もあって実際に現地に行けるわけじゃないですし、お金もなかったので基本的にオンラインで全部済ませたかった。その代わり情報だけは徹底的に集めようと意識しましたね。仕事は観光開発系に興味があったから、陸前高田の観光物産協会の事務局長と話す機会を設けてもらい、やりたい仕事ができそうか、どんな人を求めているかを根掘り葉掘り聞きました。

最終的に移住を決めたのは、探し始めてから2ヶ月後くらい。めちゃくちゃ調べて、最後は勢いも大事かなって」

移住者に寛容なこのまちで、本当に必要とされていることを見つけたい

2020年9月末、陸前高田へ移住して、現在は海に近い古民家を借りてふたり暮らし。
印象的な出来事はありましたか?と聞くと、「年末年始、家の水道管が凍ってしまって…」と笑います。

続けて「大家さんが優しくて、『牡蠣フライができたからおいでよ』と僕たちを呼んでくれたり、家が寒いことを気にして毛布を持ってきてくれたりと、良くしてもらっているんですよ」とも教えてくれました。

インタビューを行った2月、多勢さんはまだ陸前高田に暮らしはじめて4ヶ月と少し。初めての田舎暮らしに戸惑うこともありながら、陸前高田に馴染んでいく道へ、踏み出したばかりのようです。

「陸前高田にはいろんなバックグラウンドを持っている人がいて、移住者に対しても寛容な気がしています。いろんなことを教えてくれるし、チャレンジを受け入れてもらっている感じがする。何かやろうとしたときの『いいね』『やろうよ』という前向きなスタンスが基本にあるのは、話をしていて気持ちがいいし、とてもいいなと感じています。

…とはいえ、自分が『陸前高田市民だ』という感じはまだまだしていなくて。仕事も手探りで、自分は赤ちゃんみたいな立ち位置だと思います(笑)あたたかく受け入れてもらっているけれど、そこにいつまでも甘えるのではなく、しっかり自立していきたい。『○○といえばこの人だよね』と、なにか第一想起してもらえるような自分のブランドを、作っていきたいというか。

そのために、まずは陸前高田のことを深く知りたいというのが今思っていることです。他のみんなと違って一度も来たことがないまま移住したから、まちの課題や関わる人たちの状況も、何も知らない状態。正直、『早くもっと色々やらないと』と焦ることもあって。

陸前高田に来たのはたまたまですが、『本当に求められていることをしたい』という思いと『自分のできることをしたい』という気持ちは変わらずあるんです。ここで、両方の気持ちがうまく噛み合うところを見つけたい。結果として持続していくような取り組みができたらいいなと思います」

「本当に僕はまだ、何もしていないんですよ」と言いながら、移住して間もないフレッシュな姿を見せてくださったこと、とてもありがたく思いながら聞いていました。

多勢さんはきっと、どの地を選んでも「なにか貢献できることは」という姿勢で向かっていくのだと思います。そんななか偶然にも移り住んだ陸前高田で、これからどんなふうに過ごしていくのか。またしばらく時間が経ったころ、続きを楽しみに聞いてみたいと思います。

text:山﨑風雅

移住者プロフィール

多勢太一さん

千葉県船橋市出身。大学では国際環境法専攻、学生NGOで東ティモールの教育支援活動に携わる。卒業後は東京の人材会社に就職、法人営業を担当。オンラインイベント「人生横丁」の参加をきっかけに2020年9月に陸前高田へ移住、地域おこし協力隊に着任。陸前高田市観光物産協会所属。

 

インタビュー場所について

インタビューをした場所:大野海岸

多勢さんが「初心に帰れる場所」と話す、広田町の大野海岸。「リュックサックひとつで移住した初日の夜、向かいのコンビニでカップラーメンとマスカットサイダーを買いました。まだ家に電気もなくて、お湯を入れて持って帰るとのびてしまうからここで食べるしかなかったんですよ。月が出ていて寒いねって言いながら、ワクワクした気持ちでしたね」

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