ワインでこれからの復興を支える担い手に

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ワイナリー「ドメーヌ ミカヅキ」がここ陸前高田に誕生しました。

創設者の及川恭平さんは、ワイナリー名を考える際、何百と候補を考え、このネーミングにたどり着いたそうです。

まずは、そのネーミングの由来についてお伺いしました。

 

「かつて津波で流失するまで陸前高田に存在した、白砂青松の高田松原を暗喩しています。実は高田松原は上空から見ると、三日月型に見えるんです。」

 

インスピレーションは、アメリカ・カリフォルニアのクレセントシティから得られ、陸前高田の復興を象徴するひとつから。震災から2年後、クレセントシティに地元の高田高校の船が流れ着いたことで、姉妹都市提携を結んでいます。

 

「『クレセント』とはつまり『三日月形』のことを意味します。それと震災をきっかけにワイナリーの創設に至ったことを考えると、『クレセント』の親和性が海とワインととても高かったこともあり、このネーミングに決めました。」

 

 

及川さんは、高校3年生に上がる大事な時期に、東日本大震災を経験しました。そして、この日をきっかけに、被災してしまった地元の復興のために深く考えるようになりました。復興の為に修行してきた10年、そしてこれから実行をしていく10年について聞いていきたいと思います。

 

 

自分は1度死んだものだと思っています

 

海と山に囲まれた自然豊かな小友町に生まれ、高校卒業まで暮らしていた及川さん。そんないつもの日常を過ごしていた、2011年の3月11日。高校生活も残り1年という受験を控えた年に、東日本大震災が起こりました。隣町の大船渡高校に通っていた及川さんは、残りの高校1年間は、まともに学校に行けなかったそうです。

 

 

「毎日、たくさんの亡くなった方を見ているなかで、『なんで自分は生き残されたのだろう?』と毎日考えていました。まるで戦争後のようでした。生き残された意味について考える中で、『自分の人生は一度終わって、これからは自分が生き残された意味の証明をするために生きていこう』と決意したんです。」

 

「自分の人生であるようで、自分の人生ではない」このことが、今の活動の原動力となっているそうです。

 

地元の産業も全て流されてしまったのを目の当たりにして、高校生ながら、「地元の復興に携わりたい。高田に産業をつくり、事業を起こしたい。」との想いがこの時生まれました。

 

 

プレイヤーになる決意

 

そんな想いを胸に、高校卒業後は関東の大学へ進学し、醸造や酵母など、生命系の科学を扱う学部で学びました。そして、この大学生活で、今の活動に繋がるワインとの出会いが…。

 

「もともとのベースが産業をつくりたい、事業をつくりたいことだったので、どんな立場で関わるのがいいのか、日々模索していました。支える立場で公務員としてシステムを整えることや、遠くの地域から知識なり、お金を支援していく立場もありなのかなと思う時期もありましたね。」

 

自問自答する中で、20歳の時に受講したワインについての授業でワインに出会い、時間を経ていく中で陸前高田の気候や地形、地質がワイン生産に適している事を知り、地元でできる産業としてワイナリーに興味を持ったそうです。

 

「一番はプレイヤーで活躍していくことが、地元に貢献できると思いました。地元ではプレイヤーが少ないと思っていたので、自分がなろう!!って。」

この大学生時代に及川さんは「10年目にワイナリーを建てる」という目標を掲げます。

 

 

進む道が明確になった及川さんは、大学卒業後は、ワインの専門商社へ就職。

「ワイナリーをつくるとなると技術、販路、資金が必要になってくる、まずは最初に販路を作ろう。作る立場の目線も大事だけど、消費者や売る現場に立つ人の目線も必要だなと。最初にそうゆう目線を付けていきたいなと思ったんです。」

 

3年間務めた中で、色んなお客さんや会社との繋がりができ、今でも交流があるそうです。

ワイナリーをつくる目標のうえで、ソムリエの資格も取得しました。

 

 

フランス アルザスでの学び

 

その後はワイン商社を退職し、フランスへと向かいます。

「ワイン商社で働いていたときも、長期休暇を利用してイタリアやスイス、アメリカなどのワイン産地を廻っていましたが、いずれフランスのアルザスにも長期で行きたいなと思っていました。そして1年間のワーキングホリデーの後、地元に戻る予定でした。」

 

及川さんは、ワインの生産者がどういう生活をしているのか?観光にどう繋げられるのか?を自分の目で確かめる為、フランスのワイナリーに住み込みで働きながら、経験を積んだそうです。

 

 

 

「地元でワインをつくるなら、環境的アプローチと、海産物と合わせるということなどを考えると、白やグリ系品種がまず良いと思っていました。銘醸地である、フランスのアルザスは観光と、地質での葡萄品種へのアプローチが進んでいる地域でもあります。アルプスが近くかなり入り組んだ地質は、日本最大のジオパークである岩手と似ていました。この地質を活かしたワインと作りたいと思ったんです。

フランスはワインというフィルターを通してきたからこそ見えてきた世界であって、ワインと出会っていなかったら、地質とかおもしろいと思わなかったですね。」

 

今では、ワインとの出会いがきっかけで、陸前高田の地形や地質、歴史を勉強しているのが楽しいと思えるそうです。

コロナの影響で、1年行く予定が半年となってしまったそうですが、この半年間の中での学びは及川さんにたくさんの刺激をくれました。

 

 

ワイナリー「ドメーヌ ミカヅキ」のスタート

 

 

2020年に帰郷し、地元に留まることとなり、「行動できないな…どうしようかな…」と思っていたところ、及川さんのもとに朗報が届きました。

親戚のご高齢のご夫婦が、放置しつつあるりんご畑の担い手を探しているとのこと。

 

「決めた10年には半年早いけれど、自分がやるか!と決めました。りんご畑をやりつつ、耕作放棄地だった別の土地も借り受け、ほぼ一人で畑の開墾作業をしましたね。機械を操縦して、石垣を壊して斜面にならしたり、草刈もほぼ毎日しました(笑) 開墾には、半年かかりました。」

 

徐々に変化する畑の姿を見て、早く始めたことで、色んな出会いもあって、むしろタイミングが良かったと感じているそうです。

 

そして2021年の春、小友町と米崎にある畑にリンゴ(紅玉)100本と葡萄(アルバリーニョ)800本の苗木を植えることができました。

 

 

 

すくすくと成長する苗木を見て、ここまでの10年を思い返すと、収穫をする日が待ち遠しくなります。

 

ワイナリー「ドメーヌ ミカヅキ」として、スタートを切った及川さん。これからの10年は、ワイナリーを大きくすること。経営を安定させることが根本のベースとして考えているそうです。

及川さんにとっての10年スパンとは、

「現実的に考えられる期間ですね。10年間の自分が敷いたレールにのって、時流にも身を委ねながら、あとは走っていくだけだと思っています。為せば成る精神で、やらなきゃ始まらないですしね。」

 

高校生の時に描いた夢が10年後に実現し、そしてこれからの10年先、20年先も及川さんの信念はぶれることなく、走り続けていくことでしょう。

「ドメーヌ ミカヅキ」が世界へ出ていく日も、そう遠くないのでは。

 

 

text:吉田ルミ子

移住者プロフィール

及川 恭平

陸前高田市小友町出身。関東の大学を卒業後、ワインの専門商社やフランスワイナリーで経験を積み、2020年にUターン。

耕作放棄地だった親戚の土地を譲り受け、1人で開墾作業をし、2021年の春にはりんごと葡萄の苗木を植える。現在は創設したワイナリー「ドメーヌ ミカヅキ」の果樹生産、果実酒の製造と販売を目指しています。

インタビュー場所について

インタビューした場所:h.(エイチドット)イマジン

陸前高田市高田町にある、ジャズ喫茶。市の中心部にある大型商業施設「あばっせたかた」の北約200メートルに位置しています。店内は心地よいジャズの音楽が流れ、アーティストによるライブが開催されることも。及川さんは、昔からジャズが好きで、畑にいる時間もジャズを聴きながら作業をしていることが多く、ここは心落ち着く場所の一つ。

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