何者でもない「普通」に自分らしく暮らす

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「私は、陸前高田に引っ越してきた普通の女の子ってだけでいいんです。移住者=すごい!みたいな期待値がすごく高い気がするんですよね。移住を考えて、私の記事にたどり着いた人には『すごくなくていい。ただただ田舎暮らしを楽しみたい!くらいの気軽さで来ても楽しいよ。』と伝えたいですね。」

そう話すのは、今回お話をお聞きした久保玲奈さん。

久保さんは、2021年4月からフリーランスとなり、一般社団法人トナリノの防災伝承事業と三陸国際芸術祭の広報の仕事をしています。
久保さんが移住した経緯や、移住後から現在行っている活動について。そして様々な経験をして、これから取り組みたいことや想いを深堀して伺いました。

通う予定ではなかったけど、来てみたら……

久保さんは東京都出身で、大学で建築を専攻していました。大学1年生の時、構造力学の授業で、津波で流された建物の写真を見た事が、久保さんと陸前高田市を繋げるきっかけとなります。

「将来は建築をやりたいと思っていました。被災した建築物を自分の目で見ないといけないなって思ったんです。それから、ボランティアを探して、大学の先輩たちがやっている活動に初めて参加したのが、2012年の8月でした。」

ボランティア活動をする中で、「若興人の家(わこうどのいえ)」との出会いが、久保さんの人生を大きく変えることとなります。

「若興人の家」は、陸前高田市の震災前からの地域課題である「若者流出」に対処しようと、一般社団法人トナリノが行っている若者事業(現在は防災伝承事業)で、大学生が企画・運営しています。当時は、空き家をリノベーションしてボランティアにくる大学生の活動拠点にする活動が始まったばかりで、久保さんはすぐに参加を決め、陸前高田市に通い始めました。その後、活動への熱意をかわれ、学生リーダーとして東京と陸前高田市を月1回の頻度で行き来する生活を送ります。

「この活動を通して、地域の方から顔と名前を覚えてもらったり、『いつこっちに来るの?』と移住を期待してくれたりする人がたくさんいたんです。ここには、若者のやりたいことを応援してくれる人がたくさんいる。ここで頑張りたい!と移住を決意して、とてもわくわくして引っ越してきましたね。皆さん温かく迎えてくれて、とても嬉しかったです。」

周りからの期待に戸惑い、そして決断

移住後は、市内にある建設会社に勤めた久保さん。実務は初めてだったので、会社の先輩方にゼロから教わり、少しずつ経験を重ね始めていました。

そんな中で、周りからかけられる「移住して、活躍してすごいね!」という言葉を、素直に受け止めきれずにいました。

「学生の時は、想いだけで認めてもらえましたし、それで満足でした。でも社会人になると、実力が伴わないといけないって、自分の中にあったんです。まだ何も実績を出していないし、地域のためになっているのかどうか分からなくなって。当時の私は、『すごいね』という言葉に、プレッシャーを感じすぎていたんです。」

期待が重荷となってしまった久保さんは、一度ここから離れることになります。半年近く経ち、その後の進路に迷っていた時、相談にのってくれた知人に「まず、自分がやりたいことをやれ」と、言われたことが自分を見つめ直すきっかけとなりました。

「色んな人に相談しました。その中の1人に『人生は仕事だけじゃないよ。あなたの根源はなんですか?』と聞かれたんです。最初はよく分からなかったけど、『生きていく中で仕事は中心にあるかもしれないけど、その周りには家族や友達とか、小さいときからブレない趣味や特技とかがある。その中の一つが仕事。』と言われて……。当時の自分は、仕事だけでどうにかしなきゃと思っていました。もっと色んなところで、自分が大事にしていることは何かなと思って、書き出してみたんです。」

自分の中にある想いに気付けたことで、本当にやりたいことを見つけられた

時間をかけて、久保さんが見つけた自分の中にある根源は「残す」ことでした。

「写真をしっかり整理する、講演会でメモをたくさんとる、とか。若興人の家の活動でも、地域の人のインタビューで思い出のものを見せてもらったら、『この人が亡くなっても残したい。』そう思えました。以前は、実績をどうつくろうか、人の役にどう立とうか、って考えていたんです。でも、『残す』ということをやっていれば、たぶん自分は幸せなんだろうなと思いました。その活動を自分がどこでやりたいかと考えた時、陸前高田だったんです。」

 

再び、陸前高田市へ戻る決意をした久保さん。久保さんを惹きつける、陸前高田市の魅力は何だったのでしょうか。

「自分の内面を最初に認めてくれた人がここの人たちなんです。小さい頃からずっと人間関係が苦手だったのですが、ボランティアで陸前高田に来て、地域の人が私の話を聞いて内面や人間性を認めてくれる会話がたくさんありました。それがすごく嬉しかったんです。」

久保さんは、東京から陸前高田市へは6年通っていたそうです。認めてくれた人たちに会いたい。陸前高田市の空気を吸いたい。この気持ちは大学生の頃から変わっていません。

そこまでして帰りたいと思ったのは、「自分を認めてくれた人たちに恩返しがしたい。」という気持ちでした。久保さんが自分らしくいられる場所、それが陸前高田市でした。

このまちには、背中を押してくれる人がたくさんいる

再び陸前高田市での生活をスタートさせた久保さん。現在はフリーランスとして、「残す」ということをベースに仕事を選んでいるそうです。震災前から当時の出来事を伝える防災伝承事業、三陸の芸能団体のPR活動など、全て「残す」に繋がっているとのこと。

ベースはブレずに、この地域でフリーランスとして働くことについて、久保さんはこう話してくれました。

「この地域で、フリーランスとして働けるタイプって2つあるのかなって思うんです。本当に実力がある人と、積み重ねてフリーランスになる人。自分がやりたい事を突き詰めて見つけられれば、頑張れると思います。陸前高田は、なんでもやれる町だと思っていますね。やりたいことをブレずに続けられるかで、変わるんじゃないかな。良い町にしていきたいと地域の皆さんも思っているはずなので、結果やってしまえば、誰かしら繋げてくれるし、認めてくれる。そして応援してくれるんですよね。」

続けてきたことで見えた夢

陸前高田市で活動を続けていく中で、久保さんが今後挑戦したいことがあるとのこと。それは、今までお世話になってきた人たちの「本」をつくること。

「自分の家族の人生が分かる、家族の記録となる本をつくりたいなって。その人の年表やこれまで頑張ってきたことをまとめることで、家族のことを知れるきっかけになればいいなと思うんです。」

久保さんの「残す」活動は、これからも変わることなく続きます。

最後に移住を考えている方へメッセージを頂きました。

「自分らしさを認めてくれる町だからこそ、自分を大事に過ごしてほしいです。自分らしさを認めてくれる人がたくさんいる町、それがここ陸前高田です。」

移住者プロフィール

久保 玲奈

東京都出身。大学2年生の時に一般社団法人SAVE TAKATA(現トナリノ)の若興人の家プロジェクトと出会い、東京と陸前高田市を約6年間通いながら活動に参加。2018年4月に移住。

移住者=すごい、という声を受け止めきれず自分を見失うも、恩師のアドバイスにより自分の根源が「残す」であることを見出す。「残す」に繫がる仕事をするため2021年4月からフリーランスとなり、一般社団法人トナリノの防災伝承事業と三陸国際芸術祭の広報を務めている。

インタビュー場所について

PECHIKA Café&Library(ペチカ カフェ&ライブラリー)

三陸自動車道陸前高田ICより、車で3分の陸前高田市高田町に立つPECHIKA(ペチカ)。カフェとして営業していましたが、2021年7月よりフリースペースとして再オープンしました。店内は、木のぬくもりと、大きな窓から差し込む暖かい日差しに包まれた空間。久保さんの活動拠点の若興人の家からは、徒歩圏内に位置しています。

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