人生をとことん生きる旅路で見つけたのは、私なりの「恩送り」

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「陸前高田は津波があった悲しいまちじゃなくて、りんごの美味しいまちとして知ってもらいたい」と陸前高田の特産品「米崎りんご」の作り手になった女性がいます。相棒のリクガメ「ココちゃん」と移住した広島県出身の池田温佳(いけだはるか)さんです。お話しすると、陽だまりのように明るく温かい雰囲気の温佳さん。

これまで、日本や世界各地を旅してきました。「旅先での出会いが宝物」と語るはるかさんが、今なぜ陸前高田でりんごの生産をしているのでしょうか。人生の旅路はどんなものだったのでしょうか。お話を伺いました。

自分をめいっぱい生きぬく旅に出た

東京都内の大学を卒業後、障がい者支援施設で働き始めた、はるかさん。

「障がいがある方はすごく感性が豊かで、関わっていてとても楽しい。利用者さんも職員の方も優しくて、あったかい空気に包まれていて大好きな職場でした。でも……。この職場に一生いるわけじゃないよね、なんて感じるところもあって。一度きりの人生だし、好きなことをして自分にしかできない生き方をしたいってずっと考えていました」。

生き方を模索し、葛藤する日々のなかで思い出すのは、大学時代に行ったニュージーランドでの短期ホームステイやカンボジアでのボランティアのことでした。

「うまく言葉が通じなくて大変でした。でもニュージランドで見た夕陽がすごく綺麗で。ホストファミリーと『綺麗だね』って一緒に感動したとき、言葉はいらないなって。カンボジアでは、子ども達の目がとっても輝いていて。日本ほど豊かではないかもしれないけど、なんて素敵なんだろうって感動しました。世界を知るって面白い。もっと世界を知りたいなって思ったんです」。

「自分をめいっぱい生きたい!自分の人生を生き抜こう!」と、自転車での日本一周の旅を決意。
4年間働いた障がい者支援施設を退社します。2017年4月に広島県をスタートし、四国、太平洋側を北上、北海道、日本海側、九州、沖縄と、ぐるっと海岸線をふちどるように移動し、2018年8月に高知県でゴールしました。


沖縄県で偶然出会った、日本一周旅の仲間が撮影

「出発から6日目、高知県での出来事ですね。日が落ちて暗くなって、雨もふり始めて、なのにチャリごと転げちゃって。心が折れかけていました。その夜は激しい雷雨の予報……。そんなときに、車で通りかかった見知らぬおっちゃんが、車から顔を出して『今日泊まるとこあるんか~?よかったらうち泊まっていき~!』って声をかけてくれたんです。その日から17日間お世話になるわけですが(笑)。本当に有難かったです。人との出会いが日本一周の一番の宝物ですね」。

旅先で出会ったばかりの方々に助けられ気がついたのは「一人旅だけどひとりじゃない」ことでした。

はるかさんが陸前高田で暮らすまで
はるかさんにとって旅に出るまでは未知だった東北。旅のなかで東北の良さも感じ始めます。
日本一周のあと「いただいたたくさんのご恩をお返ししたい」と西日本豪雨被害のボランティアに参加。その活動で出会った岩手出身者が教えてくれたのが、「高田松原を守る会」の松の苗を植えるボランティアでした。日本一周の際は、陸前高田は通り過ぎるだけで滞在はしませんでした。『震災後7年経ってもまだボランティアが続いている』という話に衝撃を受け、陸前高田を訪れたいと思っていたそうです。


震災の津波で流失した高田松原海岸に松の苗を植樹し松林を再生する活動

植樹ボランティアで訪れた陸前高田。その滞在中、米崎りんごとりんご生産の師匠 大和田司さんに出会います。「りんごの摘果(実がつきすぎるとりんごが成長しにくくなるため、実を間引く作業)のお手伝いをしてもらえないか」という話が出会いのきっかけでした。

「陸前高田は津波のイメージがあって、岩手県にはりんごのイメージはなかったんです。すごく美味しいりんごがあることを知って、私がここでりんごを育てて全国にお届けしたら自分の好きな岩手のPRになるなぁとか。震災があった悲しいまちじゃなくて、りんごの美味しいまちとして全国にお届けしたいなぁとか。自分なりに岩手の良さをPRしたいなぁとか、いろんな想いがカチっとはまって。師匠との運命的な出会いもあったので(笑)。住んじゃおう!って」。


師匠の大和田さんと過ごす時間。笑いが絶えません

2021年5月、陸前高田に移住。大和田さんの農園でりんごの生産を手伝いながら、自分の農園も持ち、100本の苗木を植え自分のりんごも育て始めました。

また「モビタ」(時速19キロ以下で走る低速型の電動ミニバス)の運転手も行っています。乗車したお客様に陸前高田のことを伝える機会も増えてきたそうです。まちのPRをしたい、と移住したこともあり、モビタの仕事にもやりがいを感じているようでした。

「高田の人はみんな前向きですよね。震災は相当辛い経験だったと思うんです。だけど皆さん前に進んでいる。生きるエネルギーに溢れていると思うんです。私もこの場所で一緒に、そして自分らしく生きたい。自分らしく生きられる場所が陸前高田かなって思っています」。

周りに流されてばかりいた頃

自分をめいっぱい生きるための旅。その行動力に感心したのですが、旅に出る前の意外な胸の内も教えてくれました。

「実は気持ちの奥では、いつも自信が持てなくて、自分が嫌いで、自分には何もないって思っていたんです。ずっと周りに流されてばっかりで。例えば、短大に進学したときも友達に合わせて『あの子が行くなら私も』って。短大の卒業が近くなれば『まだ就職したくないなぁ』って大学に編入して。自分のしたいことが分からないまま、みんなが就職するから就職する。それが当たり前だと思っていたけど、何かが違うって」。


自分を変えたいという気持ちが強かった

今のはるかさんからは、自分の人生を楽しんで生きていることが伝わってきます。

「自分の心に正直に、幸せだと思える毎日を生きたいですね。自転車の旅でも『頑張ってるね』『大変でしょ』って言われました。でも、自分が決めた旅だから楽しいし全然キツくもなく、生きていることを心から実感する日々でした。『元気や希望をもらった』なんて言われるとすごく嬉しくて」。

もし、かつてのはるかさんのように悩む人にはやはり不安はあると思うのですが……。とお聞きすると。

「もうね。やるか、するか!(笑)経験してなんぼだと思います。最初の一歩はめちゃめちゃ怖いけど、踏み出して行動すること、自分の心に正直に突き進むこと。そして、感謝の気持ちを忘れないことが大事だなと思いますね。迷いや心配事があっても自然と救いの手が集まって、なんとかなることを私は経験してきました。不安なことを考えていたらキリがない。それならワクワクを膨らませて進んだ方が楽しいと思っています。自分がワクワクした方向に進めば全てうまくいく!」。

「温贈り」で幸せの連鎖を

今はるかさんがしたいことが恩送りです。人から受けた恩をその人に返すのが恩返しですが、恩送りは人から受けた恩を別の誰かに渡していくこと。リレーのバトンのように、多くの人に恩を渡していくことで、恩が連鎖するようにつながっていくという考え方です。

はるかさんは自分の農園で「はるか」というりんごの品種を育て始めました。これも自分なりの恩送りと言います。

「はるかは岩手で生まれた品種なんです!いつか『はるかが育てたはるか』を全国にお届けしたいなって、すごいワクワクしています。りんごはもらうだけで嬉しいし、自分の分身のようなりんごがお届け先で人の笑顔を作ってくれたらいいなって」。

2022年3月に100本植えたうち20本がはるか

「はるかさんの恩送り」に友人が名付けてくれたのは「温贈り」という名前。「温佳」と「恩送り」をかけ合わせ、贈り物のように大切につないでいきたいという想いを込めた言葉です。

現在は、陸前高田に来た旅人が立ち寄ることのできる居場所づくりの構想も少しずつしているそうです。一人でも、見知らぬ土地でも手を伸ばしてくれる人のいる幸せ。はるかさんの経験が生かされていくのではないでしょうか。「温贈り」が幸せの連鎖をつくっていきます。

はるかさんが話します。
「周りに流されてばかりだったけど、自分の道を行きたい想いは強かったんですよね。それで旅に出たり、散々フラフラしてきたんです。ようやく自分がやりたいことが、ここ陸前高田で見つかった気がします」。

Text:板林 恵

移住者プロフィール

池田 温佳さん

広島県出身。埼玉県の高校を卒業後、東京都内の短期大学に進学し大学に編入した。就職と同時に生まれ故郷である広島へ帰り、障がい者支援施設に就職。旅や災害ボランティアを通して世界を見ることの面白さに気がついた。陸前高田は冬の寒さは厳しいが、人があたたかいところだと感じるそう。

▼ココちゃん(アルダブラゾウガメ)
日本一周中に出会った沖縄県伊江島のお父さんから、生後10ヶ月の頃から預かっている(2022年12月現在3歳8か月)。冗談で旅に連れて行っていいか聞いたところ「いろんな景色を見せてやれ、いろんな経験させてやれ」と預けてくれた。はるかさんと富士山や羊蹄山、岩手山など10座ほどの登山経験がある。

インタビュー場所について

ハルカ農園

陸前高田市米崎町西風道(ならいみち)にある、はるかさんのりんご畑。師匠の大和田さんから借りている。2022年3月ボランティアの方の力も借り、防風柵を建て、その後りんごを植樹。「りんごが実るまで2、3年、たくさんの人に高田で育ったはるかりんごを食べてもらい、笑顔になってもらうのがとても楽しみ!」

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