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「『人は愛されて人を愛する存在』というメッセージを、まだ出会っていない人たちにも届けていきたいですね」
そう話すのは、今回お話をお聞きしたガム ジェンヘイ(以下、ガムチャイ)さんです。
香港出身で現在41歳、奥様と双子の男の子との4人家族です。日本へ来て14年、陸前高田市へ移住して10年が経ちました。日本、そして陸前高田に来た経緯、現在行っている活動や陸前高田での暮らしについて伺いました。
人生を変えたきっかけは
ガムチャイさんは日本語や日本の文化を学ぶため、2009年に来日しました。日本での暮らしのスタートは、和歌山県から。その後、佐賀県伊万里市へ引っ越し、宣教師の活動を始めます。
ガムチャイさんがキリスト教について、深い考えを持つきっかけとなったのが高校生のとき。
「家族は仏教を信仰していましたが、通っていた中学校がキリスト系の学校だったんです。その時は、深くまでは知らなかったのですが、高校生の時に、『試験が終わって暇だな。教会に行ってみようかな』と思って行ってみたら、考え方がすごく変わりましたね」
キリスト教についての証や、聖書に書かれている「人間はなぜ地上に存在するのか」を深く知っていくなかで、自分が知るべきことだと強く感じ、興味が沸いてきました。それから宣教師への道へと進みます。
「日本は、宗教に対して理解しにくいイメージがあるんですよね。普段は宗教のことを話さない、避けているイメージが強くて。都会だと、いろんな宣教師や聖書のことを知るきっかけが多いと思うんです。でも、伊万里や陸前高田もそうですが、教会もなく海外から来る宣教師がいなかったんですよね」
ガムチャイさんが活動をするうえで大事にしていることの一つが、信じている人、興味のある人だけに伝えるのではなく、知らない人へたちへも届けていくことなのだそうです。
他のキリスト教の活動と違い、特定の建物(教会)はもたず、人との繋がりや出会うことを大切に活動しています。現在は約15名ほどのグループで、月1回集まって食事をしたり、聖書を読んで過ごす時間としています。
自分にできる「心のケア」
ではなぜガムチャイさんは、伊万里市から陸前高田市へ移住することとなったのでしょうか?
きっかけとなったのは、2011年3月11日に発生した東日本大震災。
「伊万里市に住んでいたときに震災がおきました。自分にも何かできることがあれば。と思い、ボランティア活動のために東北へ行きました。最初は、遠野市に住んで、被災地支援ボランティアネットワークの『心のネット』の活動に参加して、被災地をまわっていました」
津波の浸水被害や倒壊した家の掃除、全国から届く支援物資の配達もしました。ボランティア活動をしていくなかで、ガムチャイさんは「心のケアの重要性」を感じたそうです。
インタビューをした日、「行きたい場所があります」と案内してくれたのは、はじめて陸前高田でボランティア活動をした場所でした。今でも鮮明に覚えているとのことで、当時の様子を伺いました。
「ボランティア場所として来たのが、現在、上長部グラウンドになっているこの辺りでした。津波の影響で辺り一面、海や近くにあった水産加工会社から流れ出た魚でいっぱいでしたね。その魚やゴミを拾う作業をしたのですが、異臭もひどくて……。『この地域に住んでいる人たちは、どんな気持ちでいるのだろう』と思ったんです。それから、避難所や仮設住宅の訪問をするようになりました」
一軒一軒訪問し、必要なものを聞いたり、一緒にお茶を飲みながらお話をしたり、交流を深めていきました。この時に改めて、人との出会いや繋がりの大切さを実感したそうです。
誰でも親戚のような付き合い
陸前高田への移住は、ボランティア活動をして1年経ったころ。ちょうどその時、妊娠中だった奥様は、出産のため香港へ。産後4か月のときに高田へ来ました。
「子どもたちは、生まれてからずっと高田に住んでいるので、育ちは高田、自分のふるさとだと思っていますよ。国籍は違うけど、気持ちは日本人として育っていますね。高田は、子育てにはとてもいい環境だなと感じます。大都会は、受験や競争など常に色んなプレッシャーがあります。でも高田は、子どもを連れて色んな体験ができるし、その時間ももてるんですよね」
気づけば10年。陸前高田で暮らして思うことは、みんなが親戚のような関係性を築いてくれることだといいます。
「去年、家族で半年間香港に帰ったんです。子どもたちも学校を休ませたのですが、帰っている時にちょうど運動会があって。参加することができなかったですが……。高田へ帰ってきて親子行事をするときに、私たち家族が運動会に参加できなかったから、『みんなで運動しましょう!』とPTA役員の親御さんが言ってくれたんです。私たちのことを考えてくれたことにとても感動しました」
「どんな人も受け入れる」それが陸前高田の良さである。そして、周りにいる人たちはもちろん、高田で育った子どもたちには優しさがあると、ガムチャイさんは話します。
やりたいことを形にして、繋がりの輪を広げていく
宣教師の活動以外でガムチャイさんは、アートの楽しさも伝えています。
液化したアクリル絵の具を使って、好きな色を選びキャンバスに絵を描く「ポーリングアート」のワークショップを月1回、陸前高田市と大船渡市で開催しています。
「参加者の人には『ただ描くのではなく、心を休ませて自分の気持ちのまま描いてください』と伝えています。子どもも大人も、うまく表現できないこともアートを通して表現してもらえたらと思っています。子どもの気持ちや思いも、アートから知ることができるんですよ。これからもっともっと、地域の人たちとアートを通じて繋がっていきたいですね」
ガムチャイさんからお話を聞いていると、人との出会いや繋がりを大切にしているのが伝わってきます。その想いがガムチャイさんの魅力となって、周りの人や関わる人にも伝染し、人を惹きつけているのではないでしょうか。
ガムチャイさんの交友関係は広く、紙クラフトをやっている50代の女性や、若手リンゴ農家さんなど、さまざまです。
「高田の特産品の米崎りんごをつくっている農家さんと出会ったんです。農家さんの現状を聞いていくなかで、たくさん収穫ができてもそれを売っていくことが大変だと聞きました。自分に何かできることはないか、どうやって農家さんを応援しようかと考えていたときに、新しい出会いがあったんです」
香港に帰ったとき、いろんな国の特産品の販売をしている友人と知り合い、米崎りんごの可能性を感じたそうです。
「香港でも、日本のりんご=青森というイメージが強いですが、米崎りんごも負けないくらい美味しい!!。ただ、新鮮なりんごをそのまま送っても重いし、送料が高くなります。栄養や美味しさを残して軽くするために、米崎りんごをフリーズドライにした商品をつくりました。」
ガムチャイさんが、美味しさには自信がある!という商品。今年から香港で販売をスタートさせました。米崎りんごの美味しさが海を渡り、国を超えてたくさんの人の元へ届いています。
最後に移住を考えている方へ、ガムチャイさんからメッセージをいただきました。
「高田は、優しさに溢れた町だと思います。都会での生活に疲れたという人も、高田のゆっくりとした環境のなかで、もう一度自分のことを見つけられると思います。そして、色んな出会いのなかで、自分の弱さや強みを知り、改めて自分の良さを発見できると思いますよ」
Text:吉田ルミ子(一般社団法人トナリノ)