陸前高田で暮らす理由は、私が一番“幸せ”を感じられる場所だから

2024.03.12

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人によって、様々なライフスタイルがあり、その中で自分はこれからどう生きていきたいか考えたとき、「地方への移住」という選択をしたあなた。次に移住先を決めるとき、何を重要視しますか?

今回お話をお聞きしたのは、2023年4月に陸前高田市へ移住した菅野睦子(かんのちかこ)さん。

菅野さんが、移住先に陸前高田市を選んだ理由は、「陸前高田にいるときの方が幸せを感じられる。ここで大変なことがあってもきっと乗り越えられる!」と、強く思ったことが決め手となったそうです。

菅野さんがそう感じたのはなぜなのか?陸前高田との出会いや移住の経緯、現在の活動や暮らしについても深掘りしていきたいと思います。

はじめての東北、はじめての陸前高田

神奈川県横浜市出身の菅野さんが、陸前高田市へ初めてきたのは2018年の夏。当時高校3年生だった菅野さんは、オリンパス株式会社が主催する「フォトジャーナリスト安田菜津紀と行く東北スタディツアー」に参加しました。

全国から参加を希望する多数の高校生の中から、わずか10名の枠に選ばれた菅野さん。

応募のきっかけは何だったのでしょうか。

「小学校6年生の時、担任だった先生の誕生日が、3月11日でした。先生は、それがきっかけで、震災支援やボランティアで東北へよく行っていたんです。教室には、『がんばっぺし東北』などのポスターが貼られていて、東北を身近に感じられる環境でした。小学生ながら、自分も東北へ行って何か力になりたいと思っていたんです。」

東北への想いはあったものの、中学・高校と学校生活を忙しく送っていた菅野さん。もともと国際協力などに興味があり、尊敬するフォトジャーナリストの安田菜津紀さんが発信するSNSで見つけたのが、東北スタディツアーでした。

「受験生である高校3年生でしたが、この機会に行こう!!と決意して応募しました。私にとって、はじめての東北です」

このツアーでは、東日本大震災の被災地の取材に取り組む安田さんと一緒に、宮城県、福島県、岩手県の3県をめぐり、復興の現状を取材、撮影をするというものでした。

岩手県の訪問先は陸前高田市。菅野さんはこの時、はじめて訪れるのです。取材だけではなく、地域コミュニティの体験として、陸前高田の復興のシンボルである「うごく七夕まつり」にも参加しました。そして、その後の菅野さんと陸前高田との繋がりをより深めたものが、一般家庭に泊まりながら、地域のリアルな生活を体験できる「民泊」でした。

菅野さんの民泊先は、陸前高田市広田町を拠点に、まちづくり活動を行う「特定非営利活動法人SET(以下、SET)」の代表をつとめる三井さんのお宅でした。

「家から海が見える景色も素敵でしたし、晩御飯がご近所さんからのいただきもので料理されたものもあると聞いて、はじめてお裾分け文化というものを知りました。町を歩いていると、気軽に声をかけられているのをみて、地域のコミュニティが温かい場所だなと思いましたね」

民泊でお世話になった三井さん家族と

この出会いがどのようにして、今後の菅野さんの人生に関わり続いていったのでしょうか。さらに詳しく伺いました。

移住をして、やりたいことを実現できた

憧れる安田さんと、夢にみた東北をめぐるツアーも終わり、高校卒業後は、青山学院大学へ進学。地域活動やまちづくりなど、地域活性を目指し新設された「コミュニティ人間科学部」を専攻しました。

「この学部を選んだのは、東北スタディツアーが大きなきっかけではありました。初めて東北へ行って、防災について深く考えたとき、今まで防災を他人事にしていたことに気づきました。自分や自分の周りのことを助けることはできるけど、地域単位という小さなコミュニティが、防災をするうえで大事だとツアーを通して思ったんです。地域に焦点をあてた学部で学んで、将来は地域に関わることをやりたいと思っていました」

そして在学中には、民泊でお世話になった三井さんとのご縁が続き、SETメンバーとなり活動に参加していました。地域の人と、オンライン、オフラインでも交流をし、常に陸前高田と関わっていたそうです。すっかり陸前高田の虜となった菅野さんは、2023年3月に大学を卒業後、地域おこし協力隊として、同年4月に陸前高田市へ移住しました。

SETの活動で地域の方との交流の様子

所属する陸前高田市観光物産協会では、SNSやHPに掲載する記事の執筆や、動画制作、観光物産協会のインスタグラムの運営などの広報発信を主に担当しています。

「私が発信したSNSを見たという人から、『いつも見てるよ!すごいね』と声をかけてもらうことも多くて、地域の人たちへもきちんと届いているんだなという実感もあって、嬉しいですね」

地域おこし協力隊での活動の様子(SNS用の撮影)

2023年に開催された産業まつりでは、ステージの司会もつとめました。ちょうどその日は菅野さんのご両親が初めて陸前高田へ来る日。「元気に楽しく働く姿を見せられて良かったです」とも話してくれました。

他にも、ライフセーバーの活動や高田松原津波復興祈念公園のパークガイドのサポートも行っています。

「観光物産協会では夏の間、高田松原海水浴場総合管理業務があることも踏まえ、6月にライフセーバーの資格を取得しました。命を預かる仕事なので、1日何事もなく無事で良かったと、毎回思いますね。パークガイドのサポートでは、学生の人たちが震災学習で来て、真剣な表情で学んでいる様子を間近で見られるのは、素敵なことだなと感じます。どれもやりがいのある仕事です」

いつも「楽しい!!」という感情でいっぱい

新しいことへの挑戦、そしてそれを楽しめることができる菅野さんは、プライベートも充実しているようです。

移住してきた当時はSETのシェアハウスで生活していました。生活をともにする仲間と一緒にご飯を食べたり、お世話になっているワカメ漁師さんのお家に遊びにいって、おしゃべりをしたり。寂しいと感じることはなかったそうです。

休日には、地域の方と一緒にサーフィンを楽しんだり、移住仲間の友人2人と女子3人で岩手を旅したりと、陸前高田での暮らしを満喫しています。

「実際に暮らしてみても、ギャップを感じることは特になかったですし、ここでの生活で不便だなと思うこともないですね。横浜から夜行バスで帰ってくるとき、陸前高田に入った瞬間、いつも嬉しくてニヤニヤしちゃうんです(笑)」

仲良し移住女子3人旅の様子

菅野さんが思う、陸前高田の魅力とはどんなところなのでしょう。

「『復興・陸前高田ゼロからのまちづくり』の本を読んだのですが、復興した街並みを見ても、人の手が加わったことを感じて、何をとっても人を感じられることが、私は魅力だなと思います。産直、飲食店、市街地など、全てに人の愛情が感じられるところが好きです。土地も風土も自然も、どこも好きです!!」

地域のお祭りや、イベントなどにも積極的に参加をしたことで、人との交流や知り合いも増えたそうです。はじめての人にも、自分から声を掛けられるようになったことが、大きな変化だと菅野さんは言います。

お祭りに参加したときの様子

最後に、陸前高田へ移住を考えている人へアドバイスをいただきました。

「気負わず、ぜひ、一度来てみてください。移住者の方も多く、なんだかんだ勝手に繋がったり、自然と友だちが増える場所です。そばで支えてくれるような存在が、陸前高田でできると思います。1度来たら、その良さが分かると思いますよ」

菅野さんが活動する、地域おこし協力隊の任期は3年。「任期終了後も、陸前高田で暮らしていきたいです」と笑顔で菅野さんは話してくれました。

Text:一般社団法人トナリノ 吉田ルミ子

移住者プロフィール

菅野睦子さん プロフィール/肩書:陸前高田市観光物産協会 地域おこし協力隊

神奈川県横浜市出身。小学生の頃から、「東北の力になりたい」という想いをもっていた。2018年、高校3年生のときにSNSで見つけた、オリンパス株式会社が主催する「フォトジャーナリスト安田菜津紀と行く東北スタディツアー」に応募し、参加する。同年夏に、初めて東北、岩手県陸前高田市を訪れる。高校を卒業後は、大学へ進学。在学中は、ツアーがきっかけとなり出会った、「特定非営利活動法人SET」のメンバーに加わり、地域の人との交流を深める。陸前高田に魅了され、大学卒業後の2023年4月に移住。現在は、地域おこし協力隊として、陸前高田市観光物産協会に所属し、広報活動を行っている。

インタビュー場所について

インタビューした場所:黒崎仙峡温泉

陸前高田市広田町にある天然温泉。リアス式海岸を一望できる広田半島の先端部に位置しているため、温泉につかりながら、太平洋の雄大な景観を眺めることができます。休憩できるスペースや食堂もあり、地元の人はもちろん、市内外から訪れるお客様の憩いの場となっています。菅野さんにとっては、移住当時に暮らしていたシェアハウスから、徒歩で通える距離にあったため、日頃から利用をしていた思い出の場所でもあります。

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