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今回求人を行うのは、一般社団法人 トナリノ(以下、トナリノ)。広報物を制作する「広報代行チーム」と地域のデジタル化支援に取り組む「デジタルチーム」、地域の事業者向けに事務局やイベント対応等の代行を行なう「事業伴走チーム」の3つの中核事業に取り組み、地域のあらゆる困りごとを解決する仕組みづくりを目指している団体です。
これまで、高田暮らしでは「移住者に聞く」コーナーで、トナリノのスタッフであるデザイナーの大武 唯さんやデジタルを担当する山本 健太さんへのインタビューを通して、活動内容をご紹介してきました。
今回募集するのは、新しくトナリノの一員としてデザイナーを務めるスタッフ。
果たしてどのような役割が求められているのでしょうか。
まずはトナリノ設立の経緯や事業内容について、代表理事の佐々木 信秋さんにお話をお聞きしました(2020年6月に法人名を、旧「SAVE TAKATA」から新「トナリノ」に変更しました)。
SAVE TAKATAが設立されたのは東日本大震災が発生した2011年3月。陸前高田市出身で当時東京に在住していた佐々木さんが、震災の影響を受け「故郷が大変だ」とボランティア活動を始めたのがきっかけでした。
「団体を設立するとか、地域に関わる仕事をするとか、なんならUターンすることなんて、もともと考えていませんでした。それでも震災直後は『陸前高田が大変だ』ということで駆けつけて、物資支援や情報発信の支援、避難所の運営支援を行いました。そこからいろいろご縁をいただきながら活動の幅を広げて、法人を設立し、陸前高田市の地域づくりに取り組んでいます」
設立から年数が経っていくと、次第に陸前高田市で暮らす方々が必要とする活動も変化。それに合わせてSAVE TAKATAの活動分野も多岐に渡るようになりました。しかし、そうして様々な業務を行っていることがネガティブな方向にはたらき始めたと言います。
「設立当初は、自分たちが『こういう事業をしたい』など明確な目的を持って事業を行っていたわけではないので、地元の人から相談されたことにボランティアとして取り組んでいました。しかし、活動を長期間続けるためには、ボランティア活動としてではなく、仕事として取り組んでいかないといけない。そうすると大変になってきて。様々な分野に取り組んでいるからこそ、自分たちの持っている資源がいまいちまとまらず、外部の人からすると活動がわかりづらいから寄附が集まらない。そのうちに、だんだんと『経営が続くだろうか』と法人を存続できるかどうか考えるようになりました」
SAVE TAKATAが存続できるかどうか。また存続していくのであれば、事業を一本化して専門性を高める必要があるか、など「SAVE TAKATAとして実現したいことはなにか」を考えた佐々木さん。そうして辿り着いた答えが「複数分野の組み合わせを用いて、地域の困りごとを解決すること」です。
「例えばICT事業と教育事業を組み合わせることでプログラミング教育を提供する、とか私達が提供できる資源を組み合わせることで、ソリューションをつくっていく。同じ団体の中でも、様々な専門性を持っている人たちがいる中で『組み合わせ』が起きているので、毎日、発見と気づきを得ることができるんです。そうして事業を発展させるための化学反応が常に起きているので、今はとても楽しく仕事に取り組むことができています。個人的には、『SAVE TAKATAがこれからいい仕事をしていくんじゃないかな』と事業が成功する匂いや空気感を感じていますね」
中核事業と支援事業、それぞれ各分野を組み合わせて事業を展開しているSAVE TAKATA。
様々な苦悩を乗り越え、事業が軌道に乗っている実感を得ていることから、佐々木さんは現在の取り組みについて、何度も「今は本当に楽しいんです」とお話してくれました。
続いて、今回求人を行うデザイナーが所属する広報代行チームディレクターの白山さんに、広報代行チームの活動内容について聞いてみましょう。
「業務の内容は、主にウェブサイトの制作やサーバーの運用、保守、管理。パンフレットやポスター、チラシなどの広報物媒体を制作しています。他に、珍しいものでは、これまでストラップやタンブラーを制作した実績もありますね。私達が『つくった経験があるかどうか』ではなく、クライアントの困りごとを解決をするために必要だと感じたことに挑戦してデザインに取り組んでいます」
トナリノがデザインの部門で主にクライアントとしているのが、岩手県や陸前高田市などの行政機関や商業施設や飲食店、建築会社などの民間の事業所、市内で活動するNPO団体など。そうして、陸前高田市内の様々な人達と関わって仕事をしていくのには、どのような人が適していると考えられるのでしょうか。
「震災から8年が経ち、多くのクライアントが、震災直後の戦略を見直し、中長期的な戦略を再構築する時期にきているなと感じています。そうした中で、私達がするべきことは、クライアントに寄り添って、一緒に考えていくこと。美術やデザインの勉強をしていた方や実務経験のある方など、デザイナーとしての素地を持ちながら、誠実さと責任感を強く持っている方に応募していただけると嬉しいです」
白山さんの話す「デザイナーとしての素地」は、「パソコンを使いこなせないといけない、とかそういうことではないんです」とデザイナーの大武さんも、続けて話します。
「普段、友達に当てる手紙にイラストを描いていたり、写真にシールを貼って飾っていたり。自分の身の回りのものを『かわいくしたい』、『おしゃれにしたい』と考えてものをつくるのが好きな方だときっといいだろうなと思っています」
「移住者に聞く」インタビューでお聞きしたように、トナリノに就職したことを機に、デザイナーとしてのキャリアをスタートした大武さん。デザインについての知識や経験がないながら、デザイナーを務めてきたからこそ「重要なのはスキルだけではない」と話します。
「確かに、私のスキルが足りないと、足りないままの制作物がお客さんに商品として届いてしまう。自分のスキルがそのまま反映されてしまうので、悩んでいたこともありますが、一番必要なのは、お客さんのことを考えて、デザインに取り組むこと。やったことのないことや難しいことに取り組むことを『楽しいな』と感じることができる方がきっと陸前高田市でのデザイナーに向いているなと思います」
ひとことに「デザイン」といっても、陸前高田市でデザイナーを務めるには、地域にあった活動を楽しんで行える方が適しているようです。
陸前高田市とデザインとの関係について、インタビュー中、佐々木さんからはこんなお話もありました。
「SAVE TAKATAのころにICT事業部を発足して、デザインを仕事にしようと取り組み始めたばかりのころは『このまちでは無理だ』っていろんな人から言われたんですよね。だから、もともと陸前高田市にデザイナーを職種にしている人はいなかったんです。そんな中で、大武がデザイナーという仕事を、陸前高田市でつくってきた。結果的に彼女がひらいた道なんですよね」
トナリノのこれまでの活動を通して、できつつあるデザインの輪を、佐々木さんや白山さん、大武さんと共に広げていく。そうして、デザイナーとしての職能を生かしながら、地域のあらゆる困りごとを解決する仕組みづくりに従事する新しい仲間を、トナリノは募集しています。
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(text:宮本拓海(COKAGESTUDIO))