コンテンツ
東日本大震災により、甚大な被害を受けた陸前高田市。
中心市街地であった高田地区では住居や店舗、市庁舎をはじめとする公共施設の多くが被害に見舞われました。
震災後、高田地区では復興に向けて、2017年にオープンした「大型複合商業施設アバッセたかた」を核に、住宅地やお店、公園が建設されるなど、景観デザインを意識したまちづくりが進められています。
景観デザインやまちづくりを大学時代に学び、陸前高田市建設部都市計画課で計画係長を務める永山 悟さん。
自らの経験やスキルを「震災で被害を受けた地域でこそ生かすことができるのでは」とそれまで勤めていた東京の都市計画コンサルタントの企業を辞職し、陸前高田市に移住しました。
宮崎県出身の永山さん。大学進学で東京に出たことや、前職でも岩手県で仕事をした経験があったことから陸前高田市への移住も「まったく抵抗はなかった」と話します。
大変な状況だからこそ、自らの経験を生かしたい
永山さんがまちづくりの仕事に興味を抱いたのは大学生の頃。
「大学で何を学ぶかを決める際に、成果が形に残るものづくりにやりがいを感じるなと漠然と思っていて、最初は建築に興味を持ちました。そのうちに建築の様々な分野に触れていると、スケールの大きい、まち全体で行う仕事があることを知って。おもしろそうだなと感じたのがまちづくりに興味を抱いたきっかけでした」
永山さんは大学卒業後、東京の都市計画コンサルタント企業に入社。いずれは独立し、地元である宮崎県にまちづくりで貢献したいという夢を持っていました。
そんな中、永山さんが就職してから2年目、2011年3月に東日本大震災が発生。当時、永山さんは出張でフランスに滞在していました。
「最初は一緒に出張をしていた同僚から言伝で聞きました。日本に帰ってきたのは震災の3日後。『東京も揺れて大変だった』という話を聞いて、何も体感していなかった自分になんだか後ろめたい気持ちになりましたね。『大変なことが起こってしまった、自分も何か行動しなければ』と思っていました」
「まずは被災地の状況を知りたい」と永山さんは、震災から1ヶ月後、実際に被害のあった岩手県の沿岸地区を見て周ります。陸前高田市はその1か所目。最初に訪れた地域だったからこそ、一番印象に残っていると言います。
「陸前高田市を通る気仙川沿いに廻館(まったて)橋という橋があります。その廻館橋は山間部近くにあって、海も全く見えません。しかし、その廻館橋付近から周りが瓦礫で埋め尽くされていました。『海が見えないのに、周りが瓦礫ばっかり、どういうことだ』と衝撃を受けましたね」
永山さんが震災後初めて訪れた陸前高田市の様子。
被災地の状況を確認した永山さん。震災後間もなくすると、勤めていた会社で復興関係の仕事が始まりました。
国土交通省による「復興まちづくりにおける景観・都市空間形成の基本的な考え方」というまちづくりのガイドラインを作成する業務を行っていました。
「復興に関連して生じてくる課題に自治体がどのように対応すればよいか指針を示すガイドラインでした。地元に長期間滞在して行っていた仕事ではないので、どれだけ地元の人に受け入れられるものなのかという疑問を持ちながら取り組んでいましたね。
現地で行動するということが一番役に立てるんだろうなと思いながら、自分はガイドラインを示す立場で、実際に動くのは地元の人達。本当に何かをしたいと思うなら、自分自身がアクションを起こさないといけないのではないかと葛藤を抱いていました」
実際に現地に滞在し、それまでの経験を生かしたいと考えた永山さん。「自分の能力が、ここのまちづくりにどういう形で関われるのか」。2012年の4月に、陸前高田市に移住し、市職員として勤める道を選択しました。
「自分は何をしにきたのか」自問自答しながら、陸前高田のためになんでもやろうと前向きに
永山さんが、陸前高田市職員として担当した最初の業務は「奇跡の一本松保存プロジェクト」でした。震災時の津波に耐え、残ったものの2012年5月に枯死が確認された「奇跡の一本松」を震災からの復興を象徴するモニュメントとして保存することを目指したプロジェクト。
約1.8億円の寄付金を集め、2013年7月に保存作業が完了しました。
「たくさんの募金が集まった一方で、『多額な資金をかける必要が本当にあるのか』と否定的な意見もありました。私が外から来たこともあって『お前は何しにここにきたんだ』と言われたこともありましたね。
自分が『何をしにきたのか』は今でもずっと自問自答しています。
『自分がきてどれだけ役に立っているのか』
『どれだけこれまでの経験が活かせているのか』
自分がこっちでどう役に立てるかわからない中で来ているので、辛くなることもありましたが、これも必要な経験なんだと自分の中で整理をしていました。都市計画の仕事でなくても、陸前高田市のために様々な面で役に立てればと思って移住したので、やれることはなんでもやろうと前向きな気持ちでいることができました」
奇跡の一本松は、幹の防腐処理、心棒をいれた補強、複製した枝葉の付け替えなど保存作業を経て、再び元の場所に立てられています。
永山さんは現在、高田地区・今泉地区の復興まちづくりが主な業務。
2017年4月にオープンした「アバッセたかた」や公園・交流施設を備えた「まちなか交流広場」、「市立図書館」など新たな中心市街地づくりに関連した業務に尽力しています。
「中心市街地のまちづくりにあたって、店舗の立ち並びや道路・公園のデザイン等の方向性を示すことができました。
例えば、中心市街地内の道路の「半たわみ舗装」。
まちなか交流広場内は歩行者優先の道路になっているんです。それが見た目でわかるように、道路は切れ込みが入っていて、石畳風にしています。さらに縁石をなくして段差をなくすことで、歩きやすくなるよう工夫しています」
中心市街地内は、石畳風の見た目と段差をなくす工夫で歩行者優先を意識した街路環境に。店舗や施設、道路など中心市街地の整備が進んでいくにつれて、達成感を感じていると言います。
「今年の春に、中心市街地で初めて商業施設とまちなか広場が完成しました。自分が関わってきた施設が完成したのは嬉しかったですね。自分が利用していると余計に感慨深いものがあります。
これからは、継続的にいいまちであるために、まちをマネジメントしていかなければいけません。土地を利用するのに高田にはどういうお店や施設が必要で、開業しようとする人達にどういう条件で入ってきてもらうのか、などまちを経営していく体制づくりが必要です」
新たに店舗や施設を立ち上げるばかりでなく、その運営方法や継続性が求められています。
最後に、地域の中で地元の人達の意見を吸収しながら「陸前高田市のためになんでもやろう」と取り組んできた永山さんだからこその感覚を話してくれました。
「私の仕事はみなさんと協議しながら決めていったことばかりなので、自分のチャレンジ・成果とはおこがましくて言えません。あるとすれば、こつこつと「小さなチャレンジ」をがんばってるという感じです」
永山さんはこれからも小さなチャレンジを積み重ねながら、新しい復興まちづくりを手がけていきます。
(Text : 宮本拓海(COKAGESTUDIO))